Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

西安 秦始皇兵馬俑坑博物館 銅車馬展示館 立車 轀輬車

$
0
0
イメージ 1
秦始皇兵馬俑坑博物館。銅車馬展示館。
201777日(金)。
1980年、始皇帝陵墳丘から西側20mの地点の地下7.8mの深さの坑から、2両の銅車、8頭の銅馬および2体の御者が出土した。始皇帝の巡行を再現する車列と思われる。
銅車馬は現地でのみ保存展示され、兵馬俑と違って海外で展示されることはない秘宝である。
 
イメージ 2
銅車馬出土状況。
坑は、東西と南北が55m、深さは8m前後で浅い地下に設けられていた。車列は、長さ7m、幅2.1m、高さ2mの木のコンテナのような木槨の中に収められていた。車列の向きは秦の宗廟のある西の方向を向いていた。
 
銅車馬は、4頭立ての二輪馬車で、実際の車馬の2分の1の比率でできていた。中国では馬車を車馬とよぶ。
 
遺物は土の中で横倒しになった状態で出土した。青銅で造られた8頭の馬はほとんど原形をとどめていたが、馬車の部分は土の圧力によって押しつぶされ、ばらばらに壊れていた。馬車はそれぞれ約3千以上の部品からなっており、復元には3年ほどの時間を要した。
 
イメージ 3
1
号銅車馬。
1号銅車馬は、立車(りっしゃ)といい、御者が立って4頭の馬を手綱でさばいている。
車馬の全長は225㎝、高さ152㎝である。
馬の轡には「扇汗」とよばれる精緻な文様が施された円盤がとりつけられ、面繫(おもがい)は金銀で作られた華麗な装飾品で飾られている。
 
イメージ 4
1
号銅車馬。
車上に立てられた傘の直径は122㎝あり、高さ91㎝の御者と車体全体を覆っている。
傘の棒を馬車本体に固定するために手の込んだ仕掛けが施されていた。傘の棒にはキーがついていて、このキーを軽く抜くと止め金が開き、止め金を閉じるとキーが自身の重みで自動的に戻って、棒をしっかりと穴に固定するのである。
 
イメージ 5
1
号銅車馬。
傘の中には22本の芯が入っており、103.6㎝の柄で立っている。
傘の内側には夔(き)龍紋あるいは夔鳳紋が描かれている。夔とは伝説上の一足獣をいい、龍や鳳と組み合わせて図案化したもので、天空を表現し、また皇帝にふさわしい図案となっている。
 
イメージ 6
1
号銅車馬。
御者は背に長剣を帯び、右に盾と鞭、左には弩を備え矢が立て掛けられている。御者の足下にも予備の矢が矢箙(しふく)という箱に納められていた。箱の鎖には留め金をかけて動かないようにしてある。
それらすべての武器の表面には天空を表す雲紋が描かれていた。
 
実際の立車では、御者の左に警備武官が添乗し、2号車の先導と警護の役目を果たしたとされる。
 
イメージ 7
2
号銅車馬。
2号銅車馬は、安車または轀輬(おんりょう)車といい、正座した御者1体が手綱を引いた。
箱型の車体には横になって乗ることができるので安車といい、車体の側面の窓を閉じれば冬暖かく、開けば夏涼しいので轀輬車ともいった。
 
車馬全体の長さは馬の頭から馬車の端まで317㎝、高さは106.2㎝、車輪の直径59㎝である。
 
イメージ 8
2
号銅車馬。
御者は一人がようやく入れるほどの小さな箱の中に収まるように正座している。正座して馬車を制御するには、膝までがきっちりと収まる箱型のほうが安定がよく、力も入るのであろう。
 
イメージ 9
2
号銅車馬。
後部の車室はほぼ正方形で、横幅78㎝、奥行88㎝で、内部には床に正座して乗車したとみられ床には座布団を模した方形に近い彩色された銅板が敷かれていた。
 
車室の壁面は上部と下部に分かれ、その境は段になっている。壁面の上部には白地に夔龍紋が描かれ、下部には幾何学的紋様が配されており、上部は天、下部は地を表すとされる。
 
イメージ 10
2
号銅車馬。
車室外側の上部と下部の間には、外にせり出した台が後部入口を除いて周囲を廻っている。
楕円形の亀の甲羅のような屋根部分の大きさは、幅1295㎝、長さ178㎝、骨組みは36本ある。車体の天井には天を表すように、流雲紋と龍鳳が描かれている。四囲の外壁にも変形龍鳳巻雲紋と雲気紋が描かれている。
 
イメージ 11
2
号銅車馬。
直方体の個室と楕円形の屋根は天地の形を表している。
 
イメージ 12
2
号銅車馬。
車には左右に開閉できる引き窓、前方部には上に引き揚げる窓がある。
後部には外から鍵のかけられる乗降用の開閉式ドアがある。
窓やドアの外側の文様は菱形図案であるが、内側には夔龍紋が描かれており、外と内の世界を区別するような図案配置である。 

イメージ 13
2
号銅車馬。
BC2107月、始皇帝は第五回巡行の途次、沙丘で亡くなった。丞相の李斯は死を隠して、胡亥と趙高ら数名だけの極秘とし、始皇帝がさも生きているような振る舞いを続けた。
轀輬車の中に宦官を同乗させて、開閉式の小窓から外とのやりとりを行い、外から食事を奉り、官僚からの上奏にさいしては、宦官は皇帝の決裁を行った。夏の暑いときであり、死臭をごまかすため大量の塩漬けにした臭い魚を車内に入れたと史記は伝える。


 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles