日本家屋。廬山派出所から北東へ栄華巷を歩いた場所。
2017年10月4日(水)。
古戦場歩道を歩いて、モーナ・ルーダオ記念碑とマヘボ古戦場は見学できたが、ネットで見た「マヘボ社跡」やセデック族のレリーフがどこかにあるはずだと、派出所から左のル-トを探ることにした。
廬山派出所から北東へ栄華巷を歩くと、日本家屋があった。来歴は不明。以前、この近くに蒋介石の別荘があったようだが。
セデック族の女性のレリーフ。
公園の近くにあった。道標にしたがい、古戦場歩道を山の方向へ登っていった。
桜花公園にある観光案内図。 ( 拡大可)
左下に蜜月館大飯店、赤いルートの半分ほどは古戦場歩道に重なる。モーナ・ルーダオ記念碑のある仙境渡暇村から上に登った橋付近④から右の産業道路のルートが、古戦場歩道になっている。
温泉玉子の売店。客の男女が店先で玉子を食べていたので、店の中に入ったが、生卵を購入して、近くの高温の源泉で茹でる方式らしく、茹でた玉子は売っていない。時間がないので、諦めて裏側の小道を登っていった。
マヘボ社住居跡。坂道を100mほど歩くと、坂の途中に平地があり、マヘボ社の石碑が立っていた。
これを見たかったので、感動した。
マヘボ社住居跡。長方形平面の竪穴が残っていた。平地はキャンプ場になっているようだ。
セデック族の男性のレリーフ。
坂道をさらに登り、カーブの上の狭い切通しを抜けると、石積みの壁にレリーフがあった。道路の左右は畑になっており、上の畑からはスプリンクラーの水が降りかかってきた。
案内板によれば、マヘボ社の住居跡のようだった。上側を見ると、漢人らしき人物が作業をしていた。
この先を見ると、さきほど派出所の右から登って、古戦場歩道に合流した地点が見えたので、戻ることにした。
切通し。山を切り開いた狭い通路状になっており、防御の目的だったのだろうか。
平地に戻ると17時頃になった。埔里行き最終バスは18時40分。汗にまみれて疲れたので、源泉に近いと思われる蜜月館大飯店で温泉に入浴することにした。受付で料金を尋ねると350元。かなり高いが、疲れていたので、入浴することにした。
職員は内湯と外湯を案内してくれた。外湯は水着が必要だという。持参していたが、内湯の方が、日本人に合っているので、内湯を選択した。タオルは貸してくれる。
内湯は川を見下ろす場所で、湯槽を出てベランダから川風を浴びることもできる。
湯槽に足を入れた途端、疲れが吹き飛ぶ感じがした。こんな快感は久し振りで感動した。
泉質は無色透明の炭酸水素塩泉(重曹泉)で温度は58~98℃と熱めである。
傷を受けた動物が温泉に入って傷をいやすのを見たセデック族も使っていたといわれる。泉質は確かに良かった。
18時ごろに、温泉を出て、廬山吊橋を渡った。吊り橋横にある老舗「櫻花小米麻糬」を覗くと、いろいろな餅菓子が多数ならんでおり、美味そうに見えたので夕食代わりに6つほど購入した。
美味いものもそうでないものもあったが、腹の足しにはなった。
櫻花麻糬はアワで作ったさくら餅で、この店の餅を蒋経国も好んで食べたらしい。
18時40分発埔里行き最終バスに乗車する頃には、暗くなりかけだった。マイカーでやってくる客もちらほらある。
埔里のバス駅に着いたのは19時50分ごろだった。昼にチェックインしておいたゲストハウス「永樂園青年旅館」へ向かい、途中のファミマで夕食と朝食を買い込んだ。
明日は6時00分のバスでセデック族反乱蕃社が流刑により移住させられた清流部落(旧・川中島)へ向かう予定だ。