展示風景。
清流部落余生記念館。2017年10月5日(木)。
1階はパネル展示で、2階には実物もある。
抗日部落死亡者調査票。
2か月近い戦いで、蜂起側6部落1237人のうち、644人が命を落した。部落の人口は半数以下の593人に激減した。
死亡者のなかでは、首吊り自殺したものが290人と最も多い。
次に、空爆による死者137人、砲弾による死者34人、計171人。
日本軍は、ジャングルを焼こうと、石油、山砲による焼夷弾、飛行機から黄燐爆弾を放ったが、ジャングルは燃えなかった。そこで、飛行機から爆弾を落としたり、山砲で砲弾を撃ち込んだ。
11月18日に広島県大久野島で製造された特殊弾が運び込まれ山砲でマヘボ洞窟に射撃された。
被首による死者87人。日本軍警は、蜂起部落の老若男女の首に賞金を付け、味方蕃に首を狩らせた。そのうち55は女性や子供のものであった。
交戦中の死者は85人であった。
投環自縊。首吊り自殺。
抗戦する戦士たちの後顧の憂いをなくすために、婦女子は死を選んだ。また、避難中の部落民たちが、特殊弾による苦痛に耐えかねて自殺した例もあった。
首吊り自殺。
セデック族の伝説では、先祖は木の中から生まれ、木に還るといわれ、自死するときは祖霊との境界となる巨木を選んで、自ら麻縄をない、先祖に呼びかける歌を歌い、苦しまないように酒を飲んでから首を吊った。
死に装束は民族衣装の真紅の晴れ着である。入れ墨や民族衣装は、あの世に先立った家族たちが自分を見つけ出す目印であった。
惨烈犠牲。抗日勇士。
主導者モーナ・ルーダオは、家人を銃で殺して、断崖の岩窟で銃により自殺した。
最後まで戦った息子のタダオ・モーナは12月8日に、4人の戦士とともマヘボの山中で首吊り自殺した。
抗日戦士の遺骨。
特種弾薬の効果を検証する堀川医学博士。
味方蕃は警察部隊に属した。川西部隊には道澤群Toda、土魯閣群Turuku。高井部隊には万大社群、和霧社群。神門部隊には白狗群。土木・兵站に従事させ、攻撃時には戦力とした。
同族であるタウツア、パーランなどのセデック族の味方蕃においては、蜂起側との縁故関係との違いによって利用方法に工夫をこらした。
タウツア社人は約80人の日本人巡査の指揮のもとに「攻撃別働隊」として出陣し、パーラン社人は蜂起者に投降勧告をよびかける役割をになった。
万大社とパーラン社は人口・壮丁数が多く、この有力な二大社の向背は戦局の行方を左右したので、早くから親日的立場を決定的にさせた。
タウツア社とトロック社は蜂起者が中央山脈方面へ脱逃するのを妨げる戦略的位置を占めていた。
タウツア社人が味方蕃としての立場を決定的にしたのは10月30日であり、それ以前にタウツア社入りした霧社人44人は保護されたが、それ以後に親戚を頼って逃げてきた霧社人は首狩りの対象となった。トロック社も事情は同じであった。
この間にあげた首級87個のうち81個は両社人の手によるものである。
両社壮丁433人は52日間の戦闘のうち全味方蕃出動延べ6822人のうち5311人が出動した。
蜂起不参加であったパーラン社は、蜂起一族が親戚を頼って逃げてきたとき、蜂起不参加と思われる者だけを選択して庇護した。オビン・タダオ一家はすぐに収容されたが、少年組として襲撃に参加したアウイ・ヘッパハは立入りを拒まれた。
タウツア社は、部落の前後を霧社とトロック社に挟まれた偏狭な山腹に部落を形成し、人口が多いわりに狩猟地耕作地も少なく貧しい境遇にあったので、日本への依存度が高かった。
警察当局は、蜂起側の首級に賞金をつけて首狩りを奨励した。
モーナ・ルーダオには2000円、頭目または有力者には200円、男には100円、女には30円、幼児には20円という大金をつけた。
警察隊と味方蕃。
射撃する味方蕃。