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読書メモ 霧社事件に関する書籍 「証言 霧社事件」許介鱗編著。1985年。

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「証言 霧社事件」許介鱗編著。1985年。

副題;台湾山地人の抗日蜂起、アウイヘッパハ。
 
.アウイ・ヘッパハ(高愛徳Awi Hepah19161996)の証言ノート。
姉妹ヶ原のだまし討ち、1027日の血祭り、霧社台地の戦い、タロワン台地の戦い、ハボン渓の戦い、タウツアの襲撃、川中島への移住。
 
セーダッカ族と日本の戦いの歴史。日本人の巡査は「蕃コロ」と蔑む。強制された出役・木材の供出。セーダッカ15社の頭目会議で日本人殺しを計画。日時が決まっていなかったので6社のみ蜂起。アウイ・ヘッパハも少年組として加わり、各地での戦いを見聞した。
 
.座談会 私の霧社事件 アウイ・ヘッパハ、林光明、許介鱗。
アウイ・ヘッパハは、ホーゴ社頭目家に生まれた。霧社の総頭目パワン・ノーカンは曽祖父。戦後は南投客運を創業し経営にあたる。
林光明は、マレッパ社の駐在であった下山治平とマレッパ社頭目の長女ペッコ・タウレの間に生まれた下山一の中国名。
許介鱗は、1935年台湾生まれ。台湾大学政治学系教授。東京大学法学博士。
 
アウイ・ヘッパハの本名はアウイ・パワン。父パワン・テミが霧社事件のとき、日本軍に殺されたので母のヘッパ・ハクドンから名をとって改めた。
霧社事件当日は、霧社公学校補習科1年生として行事に参加。少年組の友達から誘われ、テントの杭を抜いて、日本人を叩いた。マハワンの戦いのあと、タロワン渓の日本兵の死体から股肉を切って、噛んだ。投降して、霧社の収容所で戦いの件で尋問された。6人の少年のうち、正直に、やったと答えた者は日本刀で殺された。マヘボ社のパワン・ナウイとアウイ・ヘッパハは嘘をついて生き延びた。
事件に参加して生き延びたのは6人いる。ほとんどは、嘘をついて助かった。
川中島では青年団長になった。
 
.解説。許介鱗。
生き証人、アウイ・ヘッパハとピホ・ワリス。2人とも霧社のエリートである。
日本人作家たちは、ピホ・ワリス(高永清)のノート「霧社緋桜の狂い咲き」を引用して、霧社蜂起の計画性を否定したり、日本軍の毒ガス使用を否定する。ピホ・ワリスは理蕃政策の犠牲者の一人として日本側に利用され続けた。
 
ピホ・ワリスは霧社事件について多くのことを知らない。公学校から抜け出し、タウツア社の親戚の家へ逃げ込んで、危うく首を取られるところを巡査の小島源治に救われて、川中島帰順式までの1年余りを小島巡査の庇護のもとに暮らした。蜂起蕃の首狩りされた同族の首の登録に通訳として手伝った。また、巡査部長千葉順治が持ち帰った、同族人の肝を火鉢であぶらされた。
川中島では警手に抜擢され、花岡二郎の未亡人と結婚させられる。セデック族の中で、随一の親日派として育成しようとした日本側の意図が見える。同族からは、日本人巡査の手下とみなされて信用されなかった。
警手から公医に転身するが、敗戦とともに同族に襲撃されて、川中島に住めなくなる。そこで、旧マヘボ社跡へ行って、温泉旅館を建てて、日本人観光客の散財を目論んだ。
 
アウイ・ヘッパハは蜂起側の少年組として戦った。投降してからは、日本語の通訳として、抗日戦士たちの自供を通訳したので、事件の真相と戦争を追体験できた。
安達嘱託(のち警部補)に利用され、霧社の収容所や川中島で、嫌疑者への秘密の取り調べのさいの通訳をした。
 
台湾山地の豊かな資源。
日本帝国の経済的利益を求めた植民地政策。山地人の土地の合法的略奪。山地人の武装解除が理蕃政策の要。樟脳の利益を求める。
隘勇制度による山地侵略。
1899年総督府法制局参事官石塚英蔵により、樟脳の専売制度と隘勇制度が導入された
姉妹ヶ原のだまし討ち。
セーダッカを含むタイヤル族民族の発祥の聖地は霧社で、かつては中部平原に住んでいたが、種族の繁栄と狩猟の獲物を求め、また外来の異民族の侵略を避けて東漸し、埔里盆地を経て眉渓を遡り、霧社に入ったという。清の乾隆帝(173596年)時代に、タイヤル族は霧社から北部山岳地帯の各地へさらに移動を開始した。
霧社の戦略的位置。
東西横断道路。
蕃婦関係による操縦策。近藤勝三郎。
討伐と決死の抵抗。佐久間総督。1910年。
銃の押収と隠匿。
道路網と警察権力の浸透。
頭目政治の復活から蜂起へ。1920年サラマオ蜂起のころから。旧慣の尊重と官命の無視。
霧社蜂起の意味。
花岡一郎・二郎の評価。
捕虜襲撃虐殺の陰謀。毒をもって毒を攻める。
移住は土地収奪か。
 
霧社事件関係年表。
 
 
<感想>
許介鱗の解説がよくまとまっている。1980年代前半の著作なので、日本から断交された台湾国民党政権時代の立場で書かれている。親日協力者のピホ・ワリス(高永清)は抗日側ではないので、悪く書かれている。
霧社事件関係年表は詳しい。
アウイ・ヘッパハの口述には、セデック族の考えが随処に描かれ、参考になる。

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