埔里酒廠。埔里。
2017年10月5日(木)。
霧社保護站バス停から清境農場方面から来た埔里行きのバスに15時10分ごろ乗車した。悠遊カードが反応しなかったので、運賃を現金で払おうとしたが、小銭が足りず、あるだけ出して、もういいと言われた。なぜ使えなかったのか分からなかった。
16時頃、埔里に着き、市内の見学に出かけた。埔里での日程は4・5日の2日間しか用意していなかったので、残り1時間ほどしかない。歩き方を見て、選定していたのはバスターミナルから徒歩で行ける埔里酒廠だった。北西へ歩いて15分ほどで埔里酒廠に着いた。
酒蔵や酒造工場というより、土産物センターだった。多くの車や観光バスが来ていた。
17時まで開館しているということなので、入口の売店でアイスクリームを買って食べた。
盆地である埔里は良質の水が湧き出ていることで有名である。埔里の紹興酒は台湾でも一二を争う良質の水が湧き出る愛蘭泉の水を使って造られる。水質が命ともいえる醸造のもっとも重要な条件に埔里は恵まれていたことが、この地を紹興酒の一大産地にしたといえる。
埔里の醸造の歴史は1917年、埔里酒廠が設立されたことによって始った。それ以来、日本の統治時代には天皇陛下御用達の「萬寿酒」、台湾が中華民国に復帰してからは総統主催の国宴に用いられた「介寿紹興酒」、最近では市場で人気の「愛蘭白酒」といつの時代も最高級の酒を造り続けて来た。
埔里酒廠の酒文化館入口。
店内から行けると思ったが、2階へ行く階段もエスカレーターも見当たらないので、外へ出て捜すと、建物の正面中央にエレベーターがあった。
時刻が書いてあるので、見てみると16時30分で閉館だった。あと、5分ほどしかない。いぶかる係員を横に2階を駆け足で見て回った。
霧社セデック族部落での糸取りと口簧琴演奏。酒文化館。
台湾や埔里の歴史を学べると書いてあったが、酒文化の紹介がほとんどだった。
霧社セデック族部落での飲酒と食事。酒文化館。
酒壷の展示。酒文化館。
酒壷のトンネル。酒文化館。
なかなか壮観だった。16時30分ごろに文化館の外に出た。
工場見学コースがあるので、工場の方へ歩いたが、時間が遅いせいか、人通りもなかったので、あきらめて、埔里酒廠を出た。
向い側にスーパーマーケットがあったので、食料を購入した。
霧社でバスに乗るときに、悠遊カードが使えなかったので、金額がなくなったのかと、セブンイレブンでチャージしてみると充分に足りていた。
以前、ブログを読んでいたときに、バスから下車するときに、タッチしていないため使用不能になり、営業所で補正してもらったという記事があったのを思い出した。
幸い郵便局の西奥に南投客運埔里站なるものがあることは、埔里酒廠へ来るときや情報で知っていたので、訪ねてみた。バスターミナルというよりも本社・バス車庫という感じで、手前に営業所があったので、入って、受付の女性職員に事情を話した。私の悠遊カードを持って、もう一人の女性職員とともに車庫方面へ行って帰ってきて、補正された悠遊カードを返してくれた。
こういう事態が起こると、補正に苦労しなければならないが、運が良かった。
胡國雄古早麺。埔里。
17時を過ぎ、歩き方に書いてあるレストランでも行こうかと、手近な胡国雄古早麺をめざし、黄昏の仁愛路を北へ歩いた。大きな三差路の手前にある大きな店だった。
切仔麺(右)、切仔米粉(左)。胡國雄古早麺。
両方とも小で40元。伝統的な味といわれてもよく分からない。
17時45分ごろだったが、広い店内に客はまばらだった。
宿へ歩いて戻った。
埔里円環。
2017年10月6日(金)。
宿を8時30分ごろに出て、埔里バスターミナルへ向かった。何度も歩いて通った埔里円環からは北方の山並みが顏を覗かせていた。
埔里では、霧社事件関連の場所である廬山温泉(旧マヘボ社)、清流部落(川中島)、霧社の見学ができて満足した。
本日は9時00分のバスで九族文化村へ行き、日月潭で泊まる日程。順路的には正しかったが、湖上のロープウェーが午後遅くになり、曇りがちとなったので、先に日月潭へ行けばよかったかも知れない。