タイヤル族万大社住居。九族文化村。日月潭。
2017年10月6日(金)。
タイヤル族中部地方濁水渓と万大渓の合流点の東、霧社の東南に位置する。標高約1136mの北斜面に立地し、戸数146戸、人口600人。1913年に現在地へ移住してきたという。
地盤面から約1.6mほど掘り下げられた竪穴(半地下)式で、竪穴の四周に高さ約30㎝の土盛りをめぐらし、その外縁はスレートを積み重ねて土の崩壊を防ぐ腰積となって、住屋に美観と安定感を与えている。
平面は矩形、平入で入口は中央にある。
壁は積木式で壁厚は約45㎝ある。屋根はスレート葺きで軒出しが深い。これを支えるために建物の前面と背面には壁面から50㎝へだてて柱列がある。
タイヤル族万大社住居。背面。
案内板。
竪穴式は高山地方において、防風と断熱を目的とし、厚い木材による積木式の壁も寒風を防ぐためのものだが、燃料がなくなった時には暖を採るために外しやすく粗い積み方をした部分もある。
タイヤル族万大社住居。内部。
内部には立入りできない。
タイヤル族万大社住居。内部。
タイヤル族万大社ヤビシ・テムの住居。(千々岩1960)。
タイヤル族万大社ヤビシ・テムの住居。入口。(千々岩1960)。
タイヤル族万大社ヤビシ・テムの住居。居室。(千々岩1960)。
タイヤル族万大社ヤビシ・テムの住居。平面図。(千々岩1960)。
タイヤル族万大社ヤビシ・テムの住居。断面図。(千々岩1960)。
タイヤル族バイバラ社(眉原社)住居。
バイバラ社は埔里北方の北港渓左岸にあり、標高約545mの平坦地に立地する。戸数54戸、人口216人。1924年に近傍の山間地に住んでいた5つの集落が官命により集団移住してきた村落。
タイヤル族バイバラ社(眉原社)住居。
タイヤル族バイバラ社(眉原社)住居。案内。
半桶式(蒲鉾式)屋根の外観と屋内の天井の優美さで知られる。
タイヤル族バイバラ社(眉原社)住居。説明板。
タイヤル族西部建築様式として異色の様式である。屋根は半桶式(蒲鉾式)。平床式、妻入り、単室、木造茅葺。
タ
イヤル族バイバラ社(眉原社)住居。内部。
壁は積木式であるが、厚みは中部にくらべ薄い。
タイヤル族バイバラ社(眉原社)住居。天井。
ボールト天井の形状をしている。小屋梁と垂木は湾曲した木材を用いている。
タイヤル族バイバラ社ユーミン・パワンの住居。(千々岩1960)。
タイヤル族バイバラ社ユーミン・パワンの住居。内部。(千々岩1960)。
タイヤル族バイバラ社ユーミン・パワンの住居。内部。(千々岩1960)。
タイヤル族バイバラ社ユーミン・パワンの住居。平面図。(千々岩1960)。
タイヤル族バイバラ社ユーミン・パワンの住居。断面図。(千々岩1960)。
タイヤル族巫拉社穀倉。
床下には鼠返しがある。