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台湾 九族文化村 セデック族静観社(トロック社)住居

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セデック族静観社(トロック社)住居。九族文化村。日月潭。
2017106日(金)。
静観社(トロック社)は濁水渓左岸にあり、現在の南投県仁愛郷合作村で霧社の北東に位置し、標高は約1470mで、戸数101戸、人口476人。
 
当局の指導により平地式住居となっているが、本来は竪穴式住居であったため、その痕跡が残っている。
前面には石の腰積みがある。入口土間は地盤面からやや高くし、室内土間は入口よりやや低くなっている。
壁は積木式で厚みがある。外側下にスレートを立て、雨水などの侵入を防いでいる。
屋根はスレート葺で軒出しが深く、これを支えるために四周に柱列をめぐらしている。
特徴は棟持柱を有することで、壁の外側に棟木を支える柱が立つ。
 
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セデック族静観社(トロック社)住居。入口。
 
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説明板。
室内正面中央は神聖な場所で獣骨や銃・槍が置かれていた。室内の四隅に寝台が置かれ、二つの寝台の中間に炉がある。右上の寝台に年長者夫婦が寝た。
タイヤル族では長子は結婚後に分家し、末子が家を継ぐことになっていた。
平日の日中になると、寝台は女子が織布や食事の準備をする場として使われた。
 
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セデック族静観社住居。室内。左側。
 
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セデック族静観社住居。室内。右側。
 
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トロック社。(千々岩
1960)。
タイヤル族は早期、霧社付近とその東側一帯に居住地を構え、主に現在の台湾中部山地、北港渓上及び濁水渓上流で農耕と狩猟を中心に生活していた。その後17世紀末から19世紀末にかけて、人口の増加による農耕地不足の問題や、狩猟テリトリーの確保や物々交換の便宜上、外部の敵の侵入から逃れるため等の理由からタイヤル族のうち、東セデック亜族にあたるタロコ族とタウサイ族が東と北に大規模な移動をした。
 
タロコ族は主に濁水渓を北に移動、濁水渓の左岸、現在の静観西方の托魯萬(Toroko-Tarowan)に定住、人口の増加に伴って濁水渓上流に居住地を広げていったが、この地域は寒く、土地が痩せていた上、農作物の収穫が少ないため、農耕地も不足していた。1732年前後タロコ族は狩猟の際に中央山脈の東側に広く青々した原野があることを発見し、東側に移動することを決め、立霧渓に沿って、現在の花蓮秀林郷の山地に段丘やなだらかな傾斜地を求めて次々と移住した。
 
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トロック社コラス・バッサウの住居。(千々岩
1960)。
 
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トロック社コラス・バッサウの住居。平面図。(千々岩
1960)。
 
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トロック社コラス・バッサウの住居。断面図。(千々岩
1960)。
 
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セデック族春陽部落(旧ホーゴ社)の鶏舎。
 
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セデック族春陽部落の鶏舎。
 
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霧社事件案内板。
 
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日本軍警側のセデック族戦士。霧社事件案内板から。
 
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日本軍警側のセデック族戦士。霧社事件案内板から。
 
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日本軍警側のセデック族戦士。霧社事件案内板から。
 
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日本軍警。霧社事件案内板から。

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