2017年10月6日(金)。
戦後、内文社は屏東県獅子郷南部の内文村に移住したが、戦前までは、北の山中にあり、旧高雄州潮州郡の莿桐脚(シドウキャク)渓上流右岸、標高788mの地点に所在した。戸数37戸、人口253人であった。
建物の屋根は亀甲型茅葺で、前室・後室を通して架けている。平入りで入口は2つある。
平面は矩形で、間口は奥行よりも狭く、屋内をスレート敷きで木板により前室・後室に分かれる。前室・後室とも天井は不完全な球欠型である。
ソウパウ社(草埔社)と同じ建築スタイルである。
社内には原住地が異なるロバニヤオ系とチョロン系の2頭目家があった。
1940年代の調査とある。
亀甲型屋根はタヒチの建築と類似するという。
前室は居間として使用され、両側の壁に沿って幅の広い腰掛けがあり、来客の寝台として用いられることがある。木彫が間仕切り壁・両側面・梁に彫られている。
後室には穀倉・炉・寝台がある。炉に近い寝台は女性用で他は男子用である。後室には墓が置かれたが、日本統治時代に禁止された。
貴族と平民の社会階層は世襲制で厳格に守られている。平民も、その功績により冠飾を与えられることがある。
1.百合花。イノシシの狩猟頭数が多い者。2.鹿角。シカ猟で優秀な者。3.紅布蝴蝶結環。功績のある貴族。4.葦の葉。クマを狩猟した者。5.タロイモの葉。首狩りをした者。
室内に死者を葬ることは、死者へ最も敬意を示す葬法であった。家族の結合を示す象徴であり、祖霊として家族の守護者となることを願った。
室内の土中に葬るのであるが、蹲踞葬が、最も敬意を示す葬法で死者の肢を屈めて陶甕に葬る方法で、通常は石板で棺を造り、その中に死体を置いた。