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台湾 九族文化村 ルカイ族 大武社(タラマカウ社)頭目ルラデン・ラウツの住居 阿禮社(アデル社)頭目の住居 

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ルカイ族大武社(タラマカウ社)頭目ルラデン・ラウツの住居。九族文化村。日月潭。
2017106日(金)。
ルカイ族は中央山脈南部の東西両側に住む3群に分けられる。山脈の西側に隘寮渓流域の西ルカイと荖濃渓支流の濁口渓流域の下三社群の2群が住む。山脈の東側に呂家渓流域の東ルカイ群(大南群)が住む。
前者は標高500mから1000mの山地が主要な居住地で、後者は台東平原の山沿い地帯に居住した。
 
現在の行政範囲では西ルカイ群の集落は屛東県霧台郷の好茶(Kochapokan)、阿禮(Adel)、吉露(Kinulan)、霧臺(Butai)、佳暮(Kanamotisan)、大武(Kaibwan)など六つの村がある。
山地門郷の徳文(Tokupon)、青山(Samohai)と瑪家郷の三和村美園団地。下三社の集落は高雄県茂林郷の茂林(Torlukan)、萬山(’Oponoho)、多納(Kungadavane)の三つの村がある。
東ルカイ群の集落は台東県卑南郷の東興村(旧名:大南村) Taromak)がある。
 
西ルカイ群のタラマカウ社は霧台の北東にあたる屛東県隘寮北渓の右岸にあり、標高約495m。当時の戸数44戸、人口261人。1640年頃に2戸、12人で移住してきた。1941年から総督府により強制移住が開始された。
 
この建物は切妻屋根スレート葺。平入りで右側に入口がある。
 
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ルカイ族大武社頭目ルラデン・ラウツの住居。案内。
ルカイ族の典型的な建築形式で、1870年頃の建築。1937年に千々岩助太郎が調査した。
 
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ルカイ族大武社頭目ルラデン・ラウツの住居。室内。
内部には居間と寝室がある。居間の一端に竈があり、その上部に箱型の棚が設けられ、寝室の両端に寝台があり、窓側に腰掛けがある。親柱の後方に穀倉があり、その左に物置がある
壁は前面がスレートを小端立てにしたもので、その他は石積。右側面壁に獣骨を飾り、背面壁の一部に箱型の霊棚を設けている。
住家の左側に豚舎を付け、居間から出入りしている。
 
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タラマカウ社頭目ルラデン・ラウツの住居。(千々岩1960
)。
 
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タラマカウ社頭目ルラデン・ラウツの住居。室内。(千々岩1960
)。
 
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タラマカウ社頭目ルラデン・ラウツの住居。平面図。(千々岩1960
)。
 
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タラマカウ社頭目ルラデン・ラウツの住居。断面図。(千々岩1960
)。
 
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ルカイ族阿禮社(アデル社)頭目の住居。
アデル社は屛東県霧頭山の西北方、標高約1200mの地に所在した。戸数88戸、人口447人であった。
原住地はコツアボガン社で1640年ごろ移住してきた。コツアボガン社の故地は台東県の大南社付近という。
現在の阿禮村は霧台の東、大武村の南にある。
 
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ルカイ族阿禮社(アデル社)頭目の住居。
1890年代の建築。
 
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アデル社バリウス・ラブラシの住居。(千々岩
1960)。
 
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アデル社バリウス・ラブラシの住居。入口。(千々岩
1960)。
 
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アデル社バリウス・ラブラシの住居。室内。穀倉。(千々岩
1960)。
 
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アデル社バリウス・ラブラシの住居。平面図。(千々岩
1960)。
 
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阿禮社涼亭。
 
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阿禮社涼亭。
 
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ルカイ族司令台。頭目家の庭に設けられた。

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