2017年10月8日(日)。
門の奥の高台に嘉義神社本殿の跡地に建てられた射日塔がそびえる。斎館・社務所が右、手水舍、参集所が左、階段の右上に神輿庫(祭器庫)が残り、参道両側には石灯籠が並んでいる。
嘉義神社の創建は大正4年(1915年)で、主祭神は、北白川宮能久親王、大國魂命、大己貴命、少彦名命、天照皇大神。社格は、國幣小社。
嘉義神社の初代の本殿は、白蟻の虫害により腐食したため、二代目の本殿が1942年に建てられた。後に国民党により忠烈祠として改められたが、1994年に火災で全焼し、1997年跡地に射日塔が建てられた。
神社の付属館は、1998年に古蹟として認定され、その範囲は、齋館、社務所、手水舍、參集所、神輿庫及び参道と参道両側の石灯籠と狛犬の石彫りなどを含む。齋館と社務所は、第2次世界大戦後「國軍828醫院」として、1987年に壊されるまで使用された。災害で全壊後、嘉義市政府により修復されて、2001年から嘉義市史蹟資料館として利用されている。
休憩所的に使われており、この部屋以外は展示室となっている。社務所とは廊下で繋がっている。
嘉義・北港間の嘉義線、虎尾・北港間の北港線は両者を合わせて北港線と総称された。
両路線は日本統治時代の1911年に開通した。当時、大日本製糖は五間厝(後に虎尾と改称)・北港間を開通させ、東洋製糖は北港・嘉義間を開通させた。1927年に東洋製糖が大日本製糖に合併され、それ以降路線が整備された。
竣工は1944年か。
射日塔へ向かう。
原住民が太陽を射る射日神話から命名したようだ。
50元を支払い、エレベーターで嘉義一高い建物である射日塔の12階空中花園へ昇った。
斎館・社務所、野球場、駅方面の市街地が広がる。
このあと、嘉義公園を出て南東にある大雅站というバスターミナルまで歩き、10時55分発のバスに乗り、13時10分頃に達邦に着いた。