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Channel: いちご畑よ永遠に
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台湾 ツォウ族の集落 達邦 日警官舎 作曲家・高一生

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阿里山公路からの風景。石棹手前の巃頭付近。
2017108日(日)。
嘉義公園の見学を終え、南東にある大雅站というバスターミナルまで歩き、1055分発のバスに乗り、1310分頃到着予定の阿里山ツォウ族群の中心地である達邦(タッパン、タパング)に向かった。30人乗りほどのミニバスである。
 
大雅站はバスターミナルではあるが、嘉義県公車の車庫であり、始発バス停からの乗客は少ない。路線は阿里山行きと同じ路線を通り、石棹から北東方面へ分かれる阿里山公路と分岐して東の谷間へ下って行く。石棹の手前から標高1000mあたりの雄大な高原の風景が広がる。
 
「嘉義達邦公車」でググって承知していたが、バスの便数は少ない。早朝から夜までの見学ほどの内容量ではないので、現地1時間で済めば、それに越したことはない。帰りのバスの発車時刻は1410分と1910分だ。見学目標は、文化センターの展示、作曲家の高一生が勤務した警察官舎(日警官舎)、集会所(クバ)の3か所で、それ以外に現地で見つかれば時間をかけてもいいぐらいのつもりで出かけた。
 
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阿里山公路からの風景。石棹手前の巃頭付近。
展望駐車場では多くのマイカー客が風景を眺めていた。周辺は高山茶の名産地として知られる。
 
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石棹から、達邦への道路を下っていく。達邦は右下に流れる曽文渓の左側上流にある。
ツォウ族の集落である楽野を通る。楽野集落は小社であるが、幹線道路に近いので、阿里山郷公所(町役場)などの公共施設が達邦から移転されて建っている。
 
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達邦への道路を下っていく。達邦で暮らした高一生は隣部落の特冨野(トフヤ)の生まれである。自動車など利用できない時代には、石棹方面へ出るのにも大変な歩行が必要だったのだと感慨にふけった。
 
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達邦部落案内図。バス停前。             (拡大可)
上部中央に、達邦国小。その右下の旭日旗の位置に、日警官舎。その左にツォウ族自然文化センターという博物館。その下に運動場。その左がツォウ達邦複合式食堂。その下が、上部左側にある現在地のバス停および駐車場である。駐車場から道路を渡ると烏占亭遊歩道入口の展望台がある。
集会所(クバ)は地図の中央にある。いずれもバス停からは徒歩5分ほどの近距離にある。
 
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達邦部落の山側方向。バス停および駐車場。バスは
1時間後まで待機中。バスの後ろはツォウ達邦複合式食堂。その右がツォウ族自然文化センター。
 
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ツォウ達邦複合式食堂。烏占亭遊歩道入口の展望台から。
 
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達邦部落の川側方向。烏占亭遊歩道入口の展望台から。傾斜地形で、中央下にクバがある。

達邦(タッパン)は曽文渓の源流部ニシキアナ渓沿岸にあり標高985mの地に所在し、石棹からバスで30分ほど下った山中にある。
達邦はツォウ族の最大集落で、かつてこの一帯の行政中心であった。

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ツォウ族自然文化センター。
以前の郷公所の跡地に建てられたという。入館無料。受付に一人若い女性がいた。8分ほど見学、撮影して外に出た。ツォウ族の文物が展示されている。高一生の展示はなかった。
 
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ツォウ族自然文化センターから日警官舎へ向かう。左下は運動場。
 
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日警官舎。作曲家の高一生が勤務した警察官舎を再建した建物。
内部へは、入場できなかった。
 
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日警官舎。左上は達邦国小の入口階段部。
 
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日警官舎。説明板。
 
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日警官舎。達邦国小の入口階段上から見下ろす。
 
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ツォウ族出身の音楽家・高一生(ウオグ・ヤタウユガナ、矢多一生190854)。
昨年1月に、「台湾原住民族の音楽と文化」(下村作次郎編、2014年)を読んで、高一生を知り、その生涯に感銘を受けた。
 
高一生(矢多一生190854)は、トフヤで生まれ、達邦蕃童教育所、嘉義尋常高等小学校を経て、原住民では唯一人台南師範学校に学んだエリートで、師範学校在学中から音楽に天分を表した。
日本統治時代にはタッパンで警官・教員として勤務していた。
中華民国になってからは、呉鳳郷の郷長を務め、ツォウ族のリーダーであった。しかし、原住民の自治を主張したために、国民党から要注意人物と目され、白色テロにより捕らえられて、1954417日に銃殺された。
 
20084月、天理大学で「高一生(矢多一生)生誕100周年記念国際シンポジュウム」が開かれ、彼が作曲した「春の佐保姫」などが演奏された。息子の高英傑や「図説・台湾の歴史」の著者である周婉窈が語った講演は「台湾原住民族の音楽と文化」に掲載されている。 
高英傑の話には、タッパン日警官舎で暮らした日々が回想されており、牧歌的な懐旧さを感じたので、ぜひともタッパンを尋ねてみたくなったのだ。
 
なお、19276月ソ連の言語学者、ニコライ・ネフスキーは台南師範の特富野鄒族青年矢多一生 (高一生) と一ヶ月あまりツォウ語を調査している。ネフスキーは日本語に精通しており、二人は日本語で意思疎通をはかった。ネフスキーは1935年にソ連科学アカデミー出版社から「臺灣鄒族語典」を出版した。これはツォウ語をはじめて専門的に言語学として取り扱ったものである。1937年、ネフスキーはソ連政府に逮捕され、日本のスパイとして銃殺された。
 
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阿里山の沼平駅遊歩道園地にある高一生の石碑。
翌日に阿里山で発見し、驚いた。ほかにもシリーズ的な石碑があるが、気が付く人は少ないだろう。
高一生が現在は高く評価された偉人であることの証として嬉しくなった。

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阿里山の沼平駅遊歩道園地にある高一生の石碑。
代表作には日本語の詞もある。
 
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阿里山の沼平駅遊歩道園地にある高一生の石碑。代表作「春の佐保姫」の詩。高一生が獄中で妻のために作詞作曲した日本語が堂々と刻まれている。

誰が呼びます 深山の森で 
静かな夜明けに 銀の鈴のような 
麗しい声で 誰を呼ぶのだよ 
 ああ 佐保姫よ 春の佐保姫よ
 
誰が呼びます 深山の森で 
淋しい夜ふけに 銀の鈴のような 
麗しい声が 森に響き渡り 
 ああ 佐保姫よ 春の佐保姫よ
 
誰が呼んでいる 深山の奥で
故里の森の奥の彼方から 
麗しい声が 誰かよんでいる 
 ああ 佐保姫よ 春の佐保姫よ


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