クバ(庫巴、ツォウ族の男子集会所)。達邦(タッパン、タバング)。
2017年10月8日(日)。
ツォウ族の古い伝説によると、もともとツォウ族は玉山に暮らしていたが、洪水が引いた後、各氏族は玉山を下りて移住を始め、その中で梁氏が阿里山に特富野(トフヤ)社を築き、後に温氏がそこから約2キロの場所に達邦(タッパン)社を築いたといわれる。
クバは達邦と特富野二つの大社にのみ建てられたツォウ族の政治・経済・宗教センターで、重要な祭典である戦祭(mayasvi、マヤスビ)は、クバで開催される。
クバ。床下の地面から設備が立ち上がって、高床の室内にある炉の位置へ通じている。祭事で使用したのちに、山芙蓉で作った籤條を収納する。
クバ。山側と観覧席。
戦祭(mayasvi、マヤスビ)のポスター。
ツォウ族の生活はあらゆる面において神と深く関係しており、祭祀はツォウ族にとって大事な行事である。
祭典には異なる家族間の歴史的なつながりが反映されており、儀式によってツォウ族の連帯感が保たれるだけでなく、ツォウ族の倫理、生活規範、歌と踊り、宗教観が反映された儀式を通じて天地の神々を敬う知恵が共有される。
戦祭の歌は多声複音合唱で歌われ、音楽と叙事詩歌の伝承を目的としている。
通りから見るクバ。
クバのある通りの民家。壁画が描かれている。
ツォウ族自然文化センター。ツォウ族文化を紹介する展示。
ツォウ族の服飾。
ツォウ族の服飾。
羽飾り。男子が皮帽の上に飾り、栄誉を示す。オスの鷹の羽根などを使用。
皮帽。キョンの皮をなめしたもの。暖かい。
頭飾り。重要な集会のときに使用。勇士の資格を持つ男子を示す、前面に貝製品などを装飾。
首飾り。男子が煙草・煙管・火種を入れておく。
護身籤條。儀式用品。祈福・祭典・遠行出征のときに身に着けて、戦神の加護を祈る。ムクゲ(木槿)の樹皮から作る。
編んだ背負い袋。食糧や小物の運搬用。
獣皮靴。台湾原住民族の中でツォウ族が最初に獣皮靴を作った。
皮製長手袋。狩猟や作業時に手を保護するためのもの。
狩猟時の服装・装備。
小米(アワ)を搗く。
男子。壺。犬。
ツォウ族の食。アワ酒を盛る。
ツォウ族の部落は山と川に囲まれており、農耕・狩猟・漁労を営んだ、大地山林は全て神霊hicuに帰するものであった。猟神は獣類を招きよせ、獣骨の中に宿ると考えた。粟女神も存在した。
肉、魚、タケノコの料理。
イノシシの肉。
鵲豆(フジマメ)、樹豆(キマメ)など。
クバの模型。
クバの説明。
特富野(トフヤ)社のクバの建築風景。
日本統治時代。
日本の巡査と原住民。
巨大神の足跡。
巨大神の足跡伝説。洪水のあと玉山から移住した伝説と関連する。
ツォウ族の社会。男子の長老から頭目を選び、頭目が召集した長老会議で集落を運営する。
ツォウ族の民族料理。残り物の詰め合わせ。40元。ツォウ達邦複合式食堂。
13時50分ごろバス停に戻り、14時10分の帰りのバスに乗ろうとしたら、運転手から満席だといわれた。次の発車時刻は19時10分なので、困ったが乗れないのなら、烏占亭歩道やトフヤに出かけようかと、バス停上の達邦複合式食堂で食事をしようとした。
昼をかなり過ぎていたので、有り合わせのものをチョイスして席に着いた。
すると、片言の日本語を話す青年たちが来て、「席を用意しますから乗ってください」と言ってきた。有難いし、断るのも勿体ないのでバスに乗り込むことにして、料理は紙パックに詰めた。
席は最後尾の席で、横に犠牲者となった20歳代の女性が立ちっぱなしとなった。今、思うと時々代わってやれば良かったと思うし、元々座席がないだけで、立ったままなら乗車できたということだ。日本人の年長者には親切に接したいという気持ちがあふれていた。地球の歩き方を見せびらかして申し訳ない。
彼らは20人ほどの地域か会社の団体らしく、早朝のバスで来て、散策していたようで、バスで着いたときに、代わりに乗り込んだ集団がいたが、彼らだった。彼らは嘉義市街地に入る橋の付近で下りていった。
阿里山公路からの風景。石棹を過ぎた巃頭付近。
往路と同じく、展望駐車場では多くのマイカー客が風景を眺めていた。
16時30分ごろ、嘉義駅バス停に着いた。パックの料理はバス停で立ったまま食べた。
宿で落ち着いてから、街中へ食事にでかけた。