2018年1月31日に大動脈弁置換術と冠動脈バイパス術の手術を名古屋ハートセンターで受けた。病状は狭心症(冠動脈狭窄症)と大動脈弁閉鎖不全症。大動脈弁は機械弁ではなく生体弁を選択した。
昨日、3月16日に退院後初めての検査があり、執刀医と面談して、採血、心電図、X線の結果は順調とのことで、5月11日の検査結果がよければワーファリンの服用は中止となるということだった。心電図の脚ブロックは治らないというのでがっかりした。エコー検査がないのも気にかかる。
最近は歩行も以前のように歩けないが、8割ほどには回復してきた。
3月7日に区役所で申請した身体障害者の審査結果は1ヶ月半後なので4月下旬に判明する。胸部に刀傷みたいな傷がついたので、1級のメリットを享受したい。名古屋市の予算が付いたので、内部障害者用のヘルプマークストラップが7月から無料配布されるらしい。
1月31日に手術、2月4日までCCU(心臓集中治療室)および重症個室、2月5日から一般個室、2月13日に退院した。
手術は10時30分から6時間かかったらしい。大動脈弁置換術は1時間で終わったが、冠動脈バイパス術が困難だった、鼻からの出血がひどくて輸血したと執刀医が言っていた。私の母親が2000年に腹部大動脈のステント留置術をしたときも、予定より3時間遅れたのは、血管がもろくて3リットル輸血しなければならなかったためらしい。手術では想定外のことが起こることは予感していた。
手術直後は麻酔が効いていたので、目が覚めていたわけではないが、立ち合いに来ていた姉の「○○ちゃん」という声と、姪の「おじさん」と泣き叫ぶような声が聞こえた。兄が何かを言っている声も聞こえた。立ち合いから帰る1月31日の17時頃のことだったようだ。
CCU(心臓集中治療室)で覚醒したのは、2月3日9時と手帳に記録されている。兄・姉・姪か来ていて、帰っていった。3日の昼食が食事の再開。節分ボーロがあった。夕方から頻脈がひどくなり、心臓がもう一つ左側にあるような感じが長く続いた。執刀医も側にいて心電図モニターを見ていたが、脈拍は200近かったようだ。4日も夕方から前日ほどはないが頻脈となった。容態が安定したので5日昼に一般個室へ移った。
2月3日深夜から2時間ほど幻覚を見た。最初は文字列が高速で上から下へ流れていった。次は風景になった。アマゾンを上空から眺めているような俯瞰図で、細部がアップしたりした。次は、北アルプスのジャンダルムのような山肌が現れ、やはり細部がクローズアップしたり、付近をパンしたりした。次はヨーロッパの山間部になり、民族衣装の少年少女は花束を持って歩き、その先には教会があった。これらは、夢ではなく、眼を閉じると現れた風景であった。眼を開けると、病室の天井が見えている。
意識はあり、亡くなった両親が彼岸から招いているというような光景はなかったので、死の手前にいるわけではないと安心はしていた。
2月4日までは全く脱力状態で食事以外は自力では困難に動けなかった。5日からリハビリを始めた。電動ベッドなので上半身を上下に動かしてくれるのだが、ベッドから起き上がって、床へ足を付けるのは退院日まで大変な苦労をした。腹筋が使えず、腕力も低下していた。
肩や背中が痛くなり、ベッドで寝るのも苦痛だった。6日夜からは薬の影響で左足親指が通風になり、痛くなった。翌日からは足首付近にむくみも出てきて、右足も少しむくんだ。
担当の看護婦に肩の痛みを訴えたが、回診に来た執刀医に肩が痛くて寝れないと言ったことが奏功したのか、日替わり担当の看護婦が気が利いたのか、モーラステープを持って来て貼ってくれたので、痛みが少し和らいだ。通風とむくみでスリッパが足に食い込んで痛かったので、リハビリを拒否しようと思っていたら、看護婦と管理士が靴カバーを持ってきたので、これに履き替えて安心して歩くことができた。