林聰明沙鍋魚頭。嘉義。
2017年10月9日(月)。
阿里山鉄道を乗車しての阿里山日帰り旅行を終えて、嘉義に帰った。嘉義にはあと3泊するので、
名物グルメを食べてみることにした。歩き方には「噴水鶏肉飯」と「林聰明沙鍋魚頭」の2店が紹介されている、「噴水鶏肉飯」は前夜に食べたので、今夜は「林聰明沙鍋魚頭」に行くことにした。
歩き方の地図を見て、文化路夜市の通りから郭家を東へ少し入った場所にあると思い、捜すが見つからない。地図は間違いで、一本北の道路・中正路へ行き、ロータリーから東へ入った方向を見ると、店が見つかった。
確かに人気店で、多くの客が並んでいた。番号で整理をしていて、店先で注文をして番号を貰い、呼ばれるまで待つことになる。通りの反対側にも多くの客が待っている。
林聰明沙鍋魚頭。嘉義。
店頭のガラスケースの中には、扁魚の唐揚げが積み上げられている。
「沙鍋魚頭」。
100元で注文した「沙鍋魚頭」は揚げた扁魚の唐揚げと豆腐・白菜・きくらげなどをじっくり煮込んだ魚のスープ料理である。分量的には腹が満足できる量であった。
鍋料理は、まず香料を強火で炒めてスープと馴染ませてから、大量の白菜、豆腐、揚げ湯葉、金針花、キクラゲ、豚肉、魚を入れて作られる。さっぱりと甘みのある白菜に濃厚な豚骨スープの味である。
「沙鍋魚頭」。
上の具材を食べ終わると、魚のフライが現れる。小骨が多いのがやや難点だが、白身が多くて食べ応えがある。
程好い味わいのスープも最後まで飲みきってしまえる、
夕食はこれで充分であった。
日本統治時代の鉄道遺産。台湾鉄道・後壁駅。
2017年10月10日(火)。
本日も嘉義からの日帰り旅行で、関子嶺温泉と六重渓へ行くことにした。六重渓は台湾原住民平哺族のうちのシラヤ族の村である。国分直一の「壺を祀る村」にはシラヤ族の風習が描かれており、昨年見学した烏山頭水庫の八田與一公園でシラヤ族の観光地図を入手したうちで、関子嶺温泉から近い六重渓部落に行くことを考えた。
新営客運のバス時刻表を検討して、関子嶺温泉からの便はなく、後壁駅7時25分発のバスが白河を経由して、六重渓へ8時5分に着くバスがあったので、これを利用することにした。六重渓から白河へ帰れば、ここから関子嶺温泉へのバス便は多い。現地で気付いたが、六重渓から9時5分発で白河9時25分着のバスを利用できたので、午前早くに予定を消化できた。
もっとも、シラヤ族の集落としては、白河にある部落の方が典型的であることをのちに知った。
嘉義駅6時25分発の列車に乗り、後壁駅に6時39分に着いた。駅を出て、振り返ってみると、昭和特有の日本時代の駅のように感じた。駅に戻って、いろいろ看板などを見ると、まさしく日本統治時代の鉄道遺産であった。
後壁駅。
戦前は、関子嶺温泉への玄関口として賑わった駅であると、片倉佳史「台湾に残る日本鉄道遺産」に記されている。関子嶺軌道という手押し台車(トロッコ)の軌道線路が白河を経由して関子嶺温泉へと向かっていた時代もあった。
後壁駅の開設は1902年4月20日という。現在の木造平屋造の駅舎は1943年に竣工した。
庇が大きく、風通しを良くするスタイルで設計されている。戦時期らしく、屋根には安価なセメント瓦が使用されている。
後壁駅。待合室。
木造のベンチは懐かしい昭和時代風であった。
後壁駅。待合室。
出札の雰囲気も懐かしい。
後壁駅。駅の観光案内図。
後壁駅。駅前の案内板。
屋根の鬼瓦は福神様の相貌をしていたという。
後壁駅。駅前の案内板。
水路、陸路、仙路の交通があった。陸路横のイラストは裕仁皇太子の車列である。
後壁駅。駅前の案内板。
1923年4月の裕仁皇太子の台湾行啓をテーマにしたイラスト。台中から台南への道中で、幹線道路があるこのあたりを通過したのかもしれない。
駅前のコンビニで軽食やコーヒーを摂りながら、六重渓行きのバスを待った。