嶺頂公園。関子嶺温泉。台南市白河区。
2017年10月10日(火)。
平埔族シラヤ族の六重渓部落を早朝に見学後、白河からバスに乗り関子嶺温泉へ向かった。歩き方などの情報を検討して、関子嶺大旅社での立ち寄り入浴と日本統治時代の史跡である「好漢坡」という階段の見学を目的としていた。
歩き方のマップを見ていても立体感はなく、地形は分からない。山間部の急坂カーブを回って、平坦になり、バスの終点に着いて降ろされた。連休の祝日なのに乗客は数人と少ないのには拍子抜けした。
名湯関子嶺温泉は北投、陽明山、四重渓と並び台湾四大温泉の一つに数えられる。泉質は泥湯でアルカリ性炭酸泉。硫黄成分を多く含み、灰色に濁っている。温度は75度と高め。新陳代謝を高め、婦人病や手足の冷え、気管支炎、貧血、座骨神経痛、アトピーなどの皮膚病や胃腸病にも効くといわれている。
関子嶺温泉の案内図。嶺頂公園。南が上。 (拡大可)
バスは右の嘉義・白河方向から図の下部(麓)の公園・旅館街から左・右と曲がりながら登って行き、上部の嶺頂公園に着いた。
見学順路は嶺頂公園から「好漢坡」の階段を下り、バス通りを下って、下部の川沿いにある「関子嶺大旅社」となった。
公園内を通り抜け、統茂温泉会館の温泉プールの歓声を聞きながら、左側の「好漢坡」を目指した。
「
好漢坡」の案内板。
好漢坡と呼ばれる長い石段は、日本統治時代には「男坂」と呼ばれ293段からなる石段だった。当時は関子嶺温泉に療養に来た日本兵がリハビリのため昇り降りしていたと伝わる。登るのが大変で、登りきった者はこれぞ男だと言われたため、「男坂」という名前になった。
全部で293段あったが、現在は短縮されている。
好漢坡。下の終点がわずかに見えている。これを登るのは大変だろう。
好漢坡。50段ほど降りた地点。
好漢坡。上部を見上げる。
好漢坡。下部から。途中に設置された涼亭では、歩き疲れた人が休憩できる場所になっている。
好漢坡。下部から。
好漢坡。入口。天梯という建物からは下の温泉公園へ下る遊歩道が設けられている。
バスが登ってきた市道を下る。
関子嶺大旅社。
1905年創業の日本式温泉旅館。関子嶺温泉は日本軍によって発見されたが、発見された年については1898年と1902年の2つの説がある。1904年には旅館(吉田屋旅館、現在の静楽館)が開業し、翌年には龍田屋(現、関子嶺大旅社)も開業した。他にも警察の療養所である暢神庵(現在の警光山荘)や、聴水庵という高官向けの招待所も作られた。
受付で、個室温泉浴を1時間200元で申し込むと、階下の部屋を案内された。
関子嶺大旅社。
階下の個室と中庭。白ペンキ塗りの下見板に日本風の風情が残る。
関子嶺大旅社。中庭。灯籠がある。
個室の横のカラオケルームでは台湾人客が日本の流行歌を歌っていた。随所に日本の湯治場という雰囲気がある。
関子嶺大旅社。個室の泥湯。
自分で湯を入れて、水で温度を調整する。
アメニティは自分で用意する必要がある。水着になる必要はないので、温泉気分を味わえる。
関子嶺大旅社。個室の泥湯。
泥湯といっても泥の粒子は小さくてさらさら感があり、気持ちがいい。湯質は絶品である。
30分ほど滞在し、11時10分頃に旅館を出て、少し下った警察署付近の「関子嶺」のバス停に向かった。
温泉公園。関子嶺温泉。
嘉義行きバスの発車時刻まで時間があったので、温泉公園周辺を散策してみた。特に何もない。
午前中に、六重渓と関子嶺温泉の見学を終えたので、午後は嘉義市内の檜意森活村などの見学をすることができた。