名古屋城の金シャチ横丁。宗春ゾーン。
2018年4月12日(木)。
4月11日に身体障害者1級の手帳を交付されたため、名古屋市営バス・地下鉄、市施設の入場料が無料になった。
名古屋城天守閣は天守閣木造復元事業により、本年5月7日(月)から入場禁止(閉館)になると、ローカルニュースで見たので、混雑化が予想されるため、30年ぶりぐらいになるが、見学することにした。
なお、6月8日には復元を進めてきた「本丸御殿」が全面完成公開となり、絢爛豪華な「上洛殿」などが公開される予定となっている。
名古屋城の天守閣は戦災で焼失後、1959年に鉄筋コンクリートで再建された。震度6強で倒壊の恐れがあるため、耐震改修での整備を計画していたが、河村たかし市長の提案により、天守閣木造復元事業が進められ、その費用は500億円以上が見込まれる。
費用負担については、名古屋市の予算ではなく、一般からの寄付と入場料収入で負担するというように理解していたが、既に市の予算から100億円が計上されているようだ。
名古屋城の天守閣復元自体は望ましいことだが、費用対効果を考えるとどうだろうか。天災・火災により再度滅失する可能性も高い。「尾張名古屋は城でもつ」という言葉をどれだけの人が知っているのだろうか。江戸城の天守閣も、財政問題により、再建されなかった。復元は観光目的なのだが、名古屋市の文化行政・観光戦略は失敗続きに思われる。観光したいと思わせるスト-リー作りができていない。
当日、地下鉄市役所駅から名古屋城東門へ向かった。本年3月29日に金シャチ横丁がオープンした。
名古屋城の金シャチ横丁。宗春ゾーン。
モダンなデザインを取り入れた飲食店街となっているのは、正門近くに設けられた「義直ゾーン」が伝統的な純和風の街並みをイメージしているのでは、わざわざ差別化したという。この言い分は通用しない。こちらも和風で造るべきだった。江戸時代に徹するべきだ。
本来は、屋内フードコート式にして、単品で安く提供したほうが、にぎわうと思う。
二之丸広場から。右奥に本丸天守閣。左手前に東南隅櫓。
広場を斜めに北へ進む。
旧二之丸東二之門。重文。
現在は本丸の東二之門の旧位置に移築されているが、もとは二之丸東の枡形外門で現在の東門の外側にあり、三の丸からの入口の位置にあたる。
旧二之丸東二之門。重文。本丸側から。古くは冠木門(かぶきもん)といわれた。
清正石。名古屋城で最大の石垣石材。本丸搦め手枡形の石垣。
天守閣と小天守閣。本丸前広場。
天守閣。本丸前広場。忍者姿をしたスタッフがいた。
小天守閣の下から天守閣へ向かう。
天守閣。
天守閣。地階。金鯱模型。
天守閣。地階。エレベーター。復元時にエレベーターを設けるかどうかでもめている。
5階まで登って、下ることにする。
天守閣。エレベーター。欧米人の少年たち。欧米人は様々な年代の人が見学していた。
天守閣。展望室。5階で降りて、6階の展望室へは階段で上がる。
天守閣。展望室。西方向。名古屋駅の高層ビル群。
天守閣。展望室。西南方向。名古屋駅の高層ビル群。正門方面。
天守閣。展望室。東南方向。下は本丸御殿。その上は愛知県体育館。その先に名古屋市役所など。
天守閣。展望室。東南方向。下は本丸御殿。
天守閣。展望室。売店。見学者の半分以上は外国人観光客。制服を着た韓国人女子高生の団体もいた。
天守閣。展望室。東方向。二之丸北の内堀。猿投山と岩巣山の稜線が見えた。
天守閣。展望室。北東方向。山並みの上に御嶽山が白く浮き上がって見えていた。
天守閣。展望室。北方向。内堀。
明和高校弓道部では、名城外回りといって、月1回は内堀に沿った柳並木の道をジョギングで走っていた。
天守閣。展望室。上り階段と下り階段が分けられている。
天守閣。階段。手摺りのデザインは瓢箪のように見える。千成瓢箪といえば、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の馬印で、名古屋市ではデザインに採用することが多かった。
豊臣方への備えとして築城された徳川御三家の城に豊臣秀吉の馬印は合わないだろう。葵の紋にするべきだった。
焼失前の名古屋城天守閣。1931年(昭和6年)撮影。本丸南から。昭和6年2月11日に一般公開された当日の新聞に掲載された写真。
表門枡形が良く分かる。天守閣下層は中層より小さいというプロポーションの悪い異形の姿だったことに驚いた。