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日本100名城 日本3名城 閉鎖近い名古屋城天守閣 見納めの見学 本丸御殿障壁画

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城下町。商家。名古屋城天守閣。展示室。
2018412日(木)。
展望室から下の各階の展示を見ていく。56日まで特別陳列「名古屋城の名品」が開催されている。
永楽屋という有名な貸本屋の店先が復元され、欧米人夫婦が写真を撮っていた。
 
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祝膳復元。寛政
101798)年、9代藩主徳川宗睦は一橋治国(徳川家斉の弟)の長男・千代を養子に迎えた。それを祝って、54日に市ヶ谷屋敷で式が行われた。その時の献立を再現した。
左から、「あいなめ付焼き」、「うなぎ」などの膳、「鯛」の膳、「石かれい」、「鯉・平作りなどの刺身」、「干しなまこの煮物」などの膳、「赤貝・鯛のなます」「焼ききす」、「瓜、茄子の香の物」、「はんぺんなどの汁」、「御飯」などの膳。
 
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御沙汰書。昭和
51930)年1211日。
名古屋離宮の土地建物を宮内省から名古屋市で下賜することを告知する文書。2日後に名古屋城が城郭として第1号の国宝に指定された。
 
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写真「本丸御殿 上洛殿一之間 南から」。昭和
6年。
本丸御殿の公開は昭和6121日から始まった。最大の見所とされたのは、天皇の玉座の拝観であった。畳の上に絨毯を敷き、机と椅子を置いた。
 
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漆菊紋散肘付椅子。明治時代。
名古屋離宮で天皇が使われた椅子と思われる。名古屋離宮の備品・調度類の多くは名古屋市へ下賜された。大半は空襲で焼失したが、皇族が使用した道具と考えられた21点は疎開され、焼失を免れた。
 
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朱地金襴七宝繋文卓掛、机。明治時代。宮内省からの下賜品。
卓掛はテーブルクロスのこと。
 
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昭和実測図「天守西側立面図」。縮尺
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昭和7年から17年度まで国宝建造物調査が実施された。図面309枚、写真733枚、拓本600枚以上が保存されている。戦災焼失前の詳細な実測図がこれほど多く現存する城は名古屋城だけである。
大天守は1階と2階がほぼ同じ面積で、3階から上の階へ行くにしたがって逓減している。
 
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昭和実測図「御殿玄関虎之間金具詳細現寸図」。縮尺
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本丸御殿玄関一之間の釘隠金具、違い棚の飾り金具、天袋の引手金具などを原寸大で記した図面。
 
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昭和実測図・拓本「花熨斗形長押釘隠」。
 
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本丸御殿焼損金具。花熨斗形長押釘隠。
昭和201112月に焼け跡から、将来の参考品とするため、原状を留めているものが拾い集められた。大半は上洛殿の長押釘隠と天井辻金具であった。
花熨斗形長押釘隠は上洛殿三之間か入側の長押に付けられていた釘隠である。生花を贈答するために熨斗紙で包んだ意匠を彫金で打ち出している。葡萄、栗鼠、草花、葵紋などの痕跡が見られる。
 
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竹林豹虎図(本丸御殿障壁画)。
江戸時代前期(慶長19年)。重要文化財。
本丸御殿玄関と大廊下の仕切りとして大廊下東側に用いられた杉戸絵。玄関の障壁画は、竹林の中を群れ遊ぶ虎と豹の画題で統一されていた。
 
本丸御殿は慶長20年(1615)に完成し、当初は初代藩主徳川義直の居館及び政務のための場所として使用されたが、わずか4年ほど使用されただけで、3代将軍徳川家光の上洛に合わせ。多くの建物が取り壊され、上洛殿が増築されるなど将軍専用の宿館として改修された。そのため、慶長期と寛永期の建築・障壁画が共存する特徴をもっている。
戦災を免れた襖や天井板絵などの本丸御殿の障壁画は昭和25年、30年、31年にわたり計1047面が国の重要文化財に指定された。
 
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桜花雉子図。江戸時代前期(慶長
19年)。表書院一之間東側。重要文化財。
左に八重桜、その右に雉子のつがい、渓流、紅白の薔薇が描かれる。
表書院は城主と来客が対面儀礼を行う建物であった。一之間には、来客の中でも最も身分の高い者が入り、上段の城主と対面した。
表書院は尾張徳川家の力を見せつけると同時に、美しい障壁画に囲まれた最高のもてなしをする空間として演出されていた。
 
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雉子躑躅図。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿上段之間西入側・一之間西入側境北側。重要文化財。
上洛殿の16面の杉戸絵は特に精緻かつ鮮やかに描かれている。彩色、金銀の砂子が豪華に施されている。
 
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帝鑑図(褒奨守礼)。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿一之間東側。狩野探幽画。重要文化財。
上洛殿上段之間、一之間の障壁画は「帝鑑図」と総称され、中国皇帝の善政が画題となっている。
この場面は、漢の宣帝が守礼(地方官)を招いて、馳走する場面を描く。
 
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柳鷺図。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿三之間南側。狩野探幽画。重要文化財。
枯れた柳に鷺がとまり、左端には尾長鶏が飛ぶ、秋冬の風景を描く。
 
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本丸御殿上洛殿の天井画。
上洛殿は将軍専用の対面儀礼の場であり、6部屋で構成されていた。そのうち4部屋と入側の天井板には650枚もの花鳥や山水を描いた板絵が嵌め込まれていた。
狩野探幽一門の制作である。
 
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滝図。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿一之間天井画。重要文化財。
一之間は上段之間の南隣に位置する。城主クラスの上級武士が、上段の間に座した将軍と対面するための部屋であった。
 
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竹図。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿一之間天井画。重要文化財。
 
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飛燕図。江戸時代前期(寛永
11年)、上洛殿一之間天井画。重要文化財。
一之間は格式の高さを示すため、折り上げ格天井とされた。折り上げ部分には、このような曲線状の天井板絵が嵌め込まれ、この形の天井板を組み合わせて、曲線状に一段、天井をせり上がらせた。
 
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二之丸御殿釘隠。江戸時代前期。
葵紋と菊花文があらわされている。
 
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甲冑類。
 
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兜類。
 
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名古屋城本丸御殿上洛殿模型。縮尺8分の1。
 
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名古屋城本丸御殿上洛殿模型。
 
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名古屋城天守閣。
 
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名古屋城天守閣。本丸御殿売店横から。
 
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名古屋城天守閣の金鯱。
本丸御殿の見学へと向かった。

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