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台湾 鹿港天后宮 鹿港街役場街長宿舎(鹿港鎮史館)

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鹿港天后宮。門と前殿(三川殿)。鹿港。国定古跡。
20171012日(木)。
地元の人々からは「媽祖(マーズゥー)宮」や「旧祖宮」とよばれる鹿港第一の名刹である鹿港天后宮は、夕方になっても参拝客で賑わっていた。
 
鹿港天后宮は、台湾で最初に湄洲(びしゅう)天后宮の開基媽祖像を祀った寺院で、前身となった廟は400年以上前の明末清初に現所在地の北側に創建され、当時の福建移民から守護神として親しまれていた。
1683年、水師提督の施琅は台湾を平定する際、湄洲祖廟の開基媽祖の加護を祈願して神像を軍に持ち込んだ。この時の媽祖像が6体の開基媽祖像の一つで、軍に加護を与えた功績から媽祖に「天妃」の称号が贈られ、この本尊から分霊されていったご神体の総数は全島で約600といわれる。
 
貿易港として繁栄した鹿港では、天后宮と龍山寺は街の南と北に分かれて所在する。媽祖は航海の守り神であり、天后宮は街を背に港の近くに海を向く方角に建てられた。
鹿港天后宮の建築規模は大きく、三進二院という前殿(三川殿)・正殿・後殿の構造である。
三川殿の屋根は重簷歇山式の造型で、台湾中の廟でこの様な造型は大変少ない。
三川殿は五開間という建築構造で出来ていて、両端には八卦扉、正門は内側に向かって延びているような感じに出来ていて、凹寿と言う構造で形成され、三川殿をより美しく見せている。
 
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屋根飾り。
寺院内に施された木彫り、石彫り、色絵などはどれも名匠の作品で、特に三川殿には天后宮の芸術の神髄が結集しており、石彫り、刺繍、色絵などは全て当代の一流の巨匠の傑作である。
 
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前殿(三川殿)から正殿を眺める。
 
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前殿(三川殿)。内部。
 
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三川殿の八卦藻井(八卦天井)。
天井は建築物の中で最も作りを大事にしなくてはならない所で、天井の機能は高い空間を隔てるだけでは無く、室温を一定に保ち、埃が落ちない様にするためでもある。装飾を施された天井は、室内を堂々とみせる立派な効果を生む。
 
三川殿内に設けられた八卦藻井は2層から成り、下層の八角形の各辺から2つの栱が上に向かって四斗組まれ、計24組の斗栱が中心の天井板「頂心明鏡」(頂の心の曇りの無い鏡)に向かって組まれ、八角形が一斉に集まっているように天井を覆っている。これは泉州渓底の職人が手がけた藻井に見られる特色の一つである。
天井全体が蜘蛛の巣の形に似ているので、「蜘蛛結網」ともよばれた。
 
藻井の各辺には八仙と吊筒が装飾され、全ての辺に八仙の人物が描かれている。八仙の上方には「四愛」および「漁、樵、耕、読」を題材とした装飾が施されている。
「四愛」とは「周茂叔は蓮を愛し、王羲之は鵝を愛し、陶淵明は菊を愛し、林和靖は梅を愛す」という言葉から、蓮、鵝、菊、梅を意味する。泉州渓底の職人が手がけた同様の様式の藻井は新竹城隍廟、彰化南瑤宮にもあるが、鹿港天后宮の藻井は最も優れた装飾が施されていることで知られている。
 
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三川殿。月下老人。
 
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三川殿。月下老人。天井。
 
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後殿から正殿。池。
後殿の前方には「天龍池」があり、民国54(1966)に造られたものである。
 
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後殿。内部。
部屋全体が金箔と朱のまばゆい装飾で輝いていた。
 
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後殿。
2階のベランダから。
 
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正殿。扁額。
正殿に保存されている清朝皇帝と文武官の扁額、古代の碑文、祖廟から贈られた大霊符、媽祖の宝璽は極めて希少な文化財であり、中国の湄洲祖廟が文化大革命中に破壊されたことにより、鹿港天后宮に祀られた湄洲の開基媽祖像と民俗文化に関連する数千点の物品は特に高い歴史的価値のある宝物として大切に保存されている。
 
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海鮮炒め。鹿港天后宮門前の食堂。塩からかった。
 
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蚵仔煎(オアチェン)。」鹿港天后宮門前の食堂。
「蚵仔煎」とは牡蠣が入ったオムレツのような小吃だが、この店のものは余り美味くなかった。
門前の食堂なので、味に胡坐をかいているような店だった。
 
暗くなりかけた中山路を南へ歩き、宿の全忠旅社へ帰った。
 
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鹿港街役場街長宿舎。鹿港鎮史館。彰化県歴史建築。
20171013日(金)。
昭和101935)年に建築された地方役人用の日本式官舎。
 
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鹿港街役場街長宿舎。玄関。
 
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鹿港街役場街長宿舎。説明。
床下の通風性が重視されていた。
 
本日は、鹿港から台中、苗栗、新竹を経て台北へ帰る行程。
中鹿客運鹿港站から乗車しようと、民権路へ入ったが、見落として、鹿港鎮公所まで行ってしまった。その右奥の小道の右側に鹿港街役場街長宿舎があった。早朝なので、まだ開館はしていなかった。
民権路を中山路方向へ戻ると、間口の狭い中鹿客運鹿港站を見つけることができた。始発のバスに乗って台中へ向かった。

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