宮原眼科。台中。
2017年10月13日(金)。
9時ごろのバスで鹿港の中鹿客運鹿港站から台中へ向かい、市内へ入ると10月4日に桃園空港からやってきたルートと同じになり、10時ごろ台鉄「台中」駅近くで下車した。
台中では、台中駅近辺の徒歩圏内である宮原眼科、台中公園、台中州庁、台中駅の見学を予定していた。
台中のあとは、苗栗の鉄道車両文物展示館、新竹駅周辺に立ち寄って台北の宿へという行程である。
司馬遼太郎の「街道をゆく・台湾紀行」に台中駅と宮原眼科が言及されていたように記憶しているが、はっきりしない。
宮原眼科は台中駅の1ブロック西にあるが、駅から歩くとビルの裏側になっていて見つけづらかった。
台中市街の観光スポットでは宮原眼科は一番人気がある。台南の林百貨と並んで、日本式洋風建築のリノベーションで知られる。
宮原眼科。回廊。
有名なアイスクリーム店の前は、10時をやや過ぎた時間だったので、それほど混んでいなかった。
宮原眼科。アイスクリーム店の入口。
宮原眼科。アイスクリーム店のディスプレイ。
日本は梅という発想でラベルがデザインされているらしい。
宮原眼科。アイスクリームのパッケージ。
大きいアイスクリームはバカ高い値段だったので、90元の小さいものを購入した。テイクアウトなので回廊で食べるしかない。残骸を捨てるゴミ箱がないのでどうしようかと思っていたら、店員が回収してくれた。
宮原眼科。南西側から。
元祖「土鳳梨」のパイナップルケーキで有名な台中の日出グループが、2010年に旧宮原眼科のビルを店舗として再生した。
宮原眼科。南西側入口。「台中市衛生院」の刻印が残る。
戦前の宮原眼科。修復工事の説明写真。
緑川のほとりにある赤レンガと瓦で作られた2階建ての建物が「宮原眼科」で、1927年に、日本人眼科医で医学博士でもある宮原武熊氏が建設し、日本統治時代には台中で最大規模の眼科診療所であった。
宮原武熊(たけお,1874年~ ?)は,鹿児島県知覧出身で1900年に愛知医学校を卒業後、東京帝大医学部、ミュンヘン大学、ベルリン大学、ウィーン大学に学んだ。鹿児島と東京で眼科医院を開業。
1925年(大正14年)台南医院眼科部長,1927年(昭和2年)台中市栄町に「宮原眼科醫院」を開設した。同時に台中州会議員となり、政界でも活躍した。1929年に台中一中近くに建てた洋式住居はのちに台中市長公館となった。1945年11月に日本へ帰国。
戦後の宮原眼科。修復工事の説明写真。
看板は「第一性病醫院」と記されているようだ。
宮原医院は国民党政府に接収管理され、「台中市衛生院(台中市政府衛生局)」として再利用された。
1959年に衛生院は新しいビルに移り、旧宮原医院の建物は民間の所有となって様々の用途に使用された。老朽化したあとは、危険建物として放置された。
宮原眼科。1階店内。
高くて広い空間は西洋の古い図書館をイメージしているらしい。
パイナップルケーキや太陽餅などの土産菓子が売られている。日本語の価格表を貰ったが高い。
宮原眼科。1階店内。2階への階段。
2階には「醉月樓沙龍台灣菜」という台湾料理レストランや喫茶店があるらしい。
日本統治時代の遺産である台中公園へ徒歩で向かった。