紅陶小口双耳尖底瓶。仰韶文化半坡類型。BC4800~BC3300年。
台北。国立歴史博物館。
2017年10月19日(木)。
中国先史時代の土器の歴史では、1万数千年前にさかのぼる土器が長江流域以南の洞窟で、また、北京周辺から1万年前ごろの平底の北方系の土器が出土し、このころから黄河、長江、遼河などの流域各地で土器が製作されていたことを示唆している。
黄河文明の起源は新石器時代の彩陶(さいとう)で代表される仰韶(ぎょうしょう)文化がもっとも古いと考えられていた。しかし、1970年代の後半に入って、仰韶文化に先行する新石器時代初期文化の存在が知られるようになった。
河南省裴李崗(はいりこう)遺跡に代表される裴李崗文化(BC7000~BC5000年)、河北省磁山(じざん)遺跡に代表される磁山文化(BC6000~BC5000年)などである。この二つは農耕文化で、人々は集落を営み定住生活を行っていた。アワが栽培され、イヌ、ブタ、ニワトリ、ヒツジなどの家畜も飼われた。土器は泥質と砂まじりの紅陶であるが、彩陶はみられない。
紅陶は通風のよい酸化炎焼成の窯で焼き上げたもので,明るい赤褐色を呈し,褐陶にくらべて硬質である。胎土を水簸(すいひ)した精製品を細泥紅陶といい,胎土に砂粒などの混和剤をふくむものを夾砂粗紅陶という。前者は主として食器類に用いられ,後者は主として煮炊きの器に用いられている。今のところ中原地方のもっとも古い農耕文化である磁山・裴李岡文化の段階で出現し,その後の仰韶文化,大汶口(だいぶんこう)文化,紅山文化など華北地方で発展する。
灰陶人頭壺。仰韶文化半坡類型。BC4800~BC3300年。
口縁部に人面を付す。
彩文土器(彩陶)双魚文鉢。仰韶文化半坡類型。BC4800~BC3300年。
半坡類型では魚、のちの廟底溝類型では鳥のモチーフが多い。
仰韶文化(BC4800年~BC2500年)は新石器時代晩期に黄河中流域を中心に栄えた農耕文化で、すでに完全に定住生活を営み、アワやキビなどの穀物を栽培し、またイヌやブタなどの家畜を飼育するとともに、並行して狩猟や漁労も行われた。集落は規模の大きなものとなっていたが、水害や外敵を避けるため河床より高い丘陵上に環濠を巡らした内側に営まれ、その外側に窯業場や公共墓地がある。社会組織は氏族制であったが、女性中心の埋葬法から母系的な社会と考えられている。
仰韶文化は彩陶で有名である。仰韶の職人は美しい白、赤、および黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成した。後世の龍山文化と異なり、仰韶文化は土器の作成にろくろを使わなかった。発掘調査により、子供達が彩文土器のかめに埋葬されていたことが判明した。
代表的なものに陝西省西安市東郊の半坡(はんぱ)遺跡の最下層を標式とする半坡類型と、河南省廟底溝(びょうていこう)遺跡の下層を標式とする廟底溝類型とがあり、半坡類型のほうが古い。
土器は細泥紅陶と砂まじりの灰陶が主で、人面文、魚文、鈎葉(こうよう)文などを描いた彩陶は仰韶文化の一つの重要な特徴である。
彩文土器勾葉文双耳尖底瓶。仰韶文化廟底溝類型。BC4000~BC3000年。
かつて、仰韶文化は仰韶遺跡を標準として,黄河流域の全彩陶文化をさしていたが,中華人民共和国になってからは,黄河中流域の河南省を中心とする仰韶文化と,黄河上流の馬家窯文化(甘粛仰韶文化)に分けられている。
黄河中流域の仰韶文化には,西安の半坡遺跡を標準とする半坡類型の文化(BC4800~BC4200年)と,河南省の廟底溝遺跡を標準とする廟底溝類型の文化(BC4000~BC3000年)がある。
前者は彩陶が少く,土器の文様は単純で動物文などに特色が認められ,後者はろくろの使用が始まり、彩陶が比較的多く,土器の文様は幾何学文を主とし,変化に富んでいる。
彩文土器勾葉文双耳尖底瓶。仰韶文化廟底溝類型。BC4000~BC3000年。
彩文土器折沿盆。仰韶文化廟底溝類型。BC4000~BC3000年。
彩文土器波文盆。馬家窯文化馬家窯類型。BC3300年~BC2650年。
馬家窯文化(ばかよう、BC3100年~BC2700年)は、黄河最上流の甘粛省・青海省にみられる、仰韶文化の遺跡の上の地層から発見される。そのため、黄河中流の中原に発した仰韶文化が西へ向けて広がったものと考えられている。青銅製品もすでに登場し青銅器時代に入っていた。
馬家窯文化では、焼く前の壺や調理器に筆で酸化鉄などで黒や赤の文様を描き、1000度前後の温度で焼いた彩陶(日本でいう彩文土器)が多数出土している。
馬家窯文化は出土物の類型から、石嶺下、馬家窯、半山、馬廠の4つの類型期に分かれる。
石嶺下類型期はBC3800~BC3100年、馬家窯類型期はBC3100~BC2700年、半山類型期はBC2600年~BC2300年、馬廠類型期はBC2200年~BC2000年と年代比定されている。
また、仰韶文化,馬家窯文化,馬廠文化,斉家文化,辛店・寺窪 (じわ) 文化などの新編年により分類する説もあり、辛店・寺窪文化は殷・周時代に及ぶとする。
彩文土器複輪文盆。馬家窯文化馬家窯類型。BC3300年~BC2650年。
彩文土器勾葉文双耳尖底瓶。馬家窯文化馬家窯類型。BC3300年~BC2650年。
彩文土器貝文双耳壺。馬家窯文化半山類型。BC2650年~BC2350年。
彩文土器廻文双耳壺。馬家窯文化半山類型。BC2650年~BC2350年。
彩文土器廻文双耳壺。馬家窯文化半山類型。BC2650年~BC2350年。
彩文土器蛙文双耳壺。馬家窯文化馬廠類型。BC2350年~BC2050年。
馬廠類型の典型的な壺である。口縁はややゆがんでいる。胴部下半の無文の部分には紐作りで作ったことを示す粘土帯の継ぎ目が見える。馬家窯文化の土器にはこのような継ぎ目を残すものが多い。あまり丁寧な作りでない理由として、墓の副葬用に大量の土器が作られたためであろうか。
文様は変形した人形文が一対描かれて、それらの間に大ぶりの円形文が描かれている。上下の水平の太線を描いたのちに、その間に人形文や円形文を描いている。
人形文はまず紫色の線を描いたのちに、それを縁取るように黒い線をつなぎ合わせるようにしながら、上から見て時計回りに施文している。
腕と足を曲げた人形文は馬家窯文化の半山類型から現れる。半山類型では頭部を示す円形が描かれているが、馬廠類型になると簡略化され頭部が描かれなくなる。手には5本の指が描かれている。さらに、肘に相当する部分にも指のようなものが描かれている。本来の足の部分はN字形に屈折して連続した文様に変形しているが、指らしきもののついている場所を見ると、まだ足という意識が残っていたのであろう。(世界美術大全集より)
彩文土器曲文高低耳壺。馬家窯文化馬廠類型。BC2350年~BC2050年。
彩文土器回文網文双耳壺。馬家窯文化馬廠類型。BC2350年~BC2050年。
彩文土器輪型菱格文双耳壺。馬家窯文化馬廠類型。BC2350年~BC2050年。