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台北 国立歴史博物館 8 青銅器 春秋時代 

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獣形器座。春秋時代。
BC770BC403年。中期。国宝。
台北。国立歴史博物館。
20171019日(木)。
47cm、長34cm、奥行30cm、重7.8㎏。
1923年に河南省新鄭市鄭公大墓から出土した。墓からは大牢九鼎、七鼎各一組,簋8件一組など100点余りの大量の青銅器が出土しており、鄭国の君主の墓と推定されているが、墓主は特定されていない

獸面人身の座状の器物である。頭部は大きく、身体部は短小である。獣面は大眼で口を開け、両足でとぐろを巻いた蛇を踏んでいる。頭部からはS字状の4條の曲がった柱を突き出しており、その上部には物を受けていた痕跡が残っている。
類例がないため、「獣面人身銅像」、「鎮墓獣」、「炉座」、「灯座」などの説はあるが、名称や用途は不明である。
 
春秋時代。BC770BC403年。
周の13代平王は洛陽に遷都するが、もはや王には天子としての権威がなく、中国は諸侯がそれぞれに治める時代となった。
この時代には青銅器も各諸侯国で作られることになり、器に天子と諸侯の区別がなくなって、所持する器の種類、組み合わせ、数などが特定の身分を表示することもなくなった。青銅器は二十数か国で作られているが、技術水準は地域によってばらつきがあり、一般に中原と山東方面で作られた器が水準が高いものとなっている。長江下流の呉越文化においては、西周時代の銅器の器形や文様を写した模倣作も作られている。
文様は全体に形式化し、蟠螭文、蟠龍文のような龍に由来するデザイン性の強い文様が盛行する。龍文の盛行は、周王室の権威が失墜したことにより、龍が中華民族共通の象徴とみなされたという思想的背景もある。龍は神仙の乗る獣として、道家思想とも深い関わりがある。
器種は豆が増加し、水器である鑑などの大型器が作られるようになった。銘文は短文のものが多く、鳥書、虫書などの装飾的字体を用いたものがある。
後期には以下に述べるようないくつかの新傾向がみられる。まず、従来の礼器にはなかった、全く新しい形態の器が登場した。球体を上下に二分割してそれぞれを身と蓋にしたような形態の敦はその例である。また、器の大型化と装飾過多の傾向が強まり、金銀象嵌などの高度な技法も使用されるようになった。鋳造のための原型製作には従来の土型に加えて蝋型を用いるようになっている。春秋時代後期の青銅器には、複雑な立体的装飾をまったく継ぎ目なしに鋳造しているものがあり、これは蝋型を用いなければ技術的に不可能であるとみられる。複雑な文様を効率的に表すために、鋳型製作にスタンプ押捺を利用するものも出てきた。
 
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螭鈕鎛鐘。春秋時代。
BC770BC403年。中期。重要古物。
河南省新鄭市鄭公大墓出土。
95cm、口径52cm
鎛(はく)は打楽器で、鐘に似るが、下部が弧線でなく直線になったもの。春秋時代中期から戦国時代に作られた。
この鎛鐘は平口である。,鐘身の上部は夔龍文,蟠龍文,下部は夔龍文により装飾されている。上端の鈕の部分は蟠螭文の透かし彫りである。鎛鐘は低音を発し、俑鐘は中高音を発する。鎛鐘は大型の鐘であり、台湾で所蔵する鐘の中でも最大の鐘である。
 
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雲龍罍。春秋時代。BC770BC403年。中期。重要古物。
河南省新鄭市鄭公大墓出土。
40.5㎝。
罍(らい)は祭祀や宴会に用いられる盛酒器で、殷後期からみられ春秋時代以降まで長く製作された。壺や瓿と似るが、丈が高く、口部が小さく、頸部が短く、壺とは逆に器の上部の径が太く、底面が狭いのが特色。肩に一対の持ち手がつく。
この罍の器形は、口が開き、短頚、丸肩、平底で、肩の上に四個の大型の龍形耳が付いている。方形の龍身と円形の龍身があり、一雄一雌の龍は交尾している。
器腹の上部は九字形の獣帯文と写実的な蟠龍文、下方は蕉葉三角文の裝飾が施されている。
器身には四個の孔があり、黄金の装飾物があった痕跡がある。
 
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虎形尊。春秋時代。
BC770BC403年。中期。重要古物。
河南省新鄭市鄭公大墓出土。
22cm、長27cm
尊は盛酒器で、上方に向かってラッパ状に開いた広い頸部を有するものをいうが、器全体の形状が鳥獣など動物の形をした容器も「尊」とよばれた。
この虎形尊は背に円形の蓋がある。尾は巻いており把手となっている。頭には角がある。首は短く太った体に短い足をもつ。額と足の上部は雷文で装飾されている。
 
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蟠螭紋鼎。春秋時代。BC770BC403年。中期。重要古物。
河南省新鄭市鄭公大墓出土。
51cm、腹部径50cm
蟠螭文(ばんちもん)は龍文の一種で春秋時代半ば頃に登場する。「螭」は幼龍の意。複数の龍が互いに複雑にからみ合って複雑なパターンを描くもので、一見すると単なる幾何学文のように見える。
鼎は商周の青銅器中で最重要な礼器で、宗廟の祭祀と饗宴で使用された。三つの短い脚部と両耳が付く。腹部は鼓状。円形の蓋の取っ手部分には蟠蛇文の透かし彫りがめくっている。
 
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(右)方炉。高
27.1㎝、長37.6㎝、幅25.6㎝。(左)炭箕。高12㎝、長26㎝、幅11.2㎝。
春秋時代。BC770BC403年。晩期。1935年河南省輝県琉璃閣甲墓から出土。
河南省輝県南東部の琉璃閣遺跡は、戦国時期魏国の貴族の家族墓地である。1936年、当時の河南省博物館が琉璃閣遺跡に対し行った考古発掘調査により、甲墓と乙墓に命名された二つの大きな墓葬及び多くの副葬品を発見した。
 
方炉は炭を燃やして暖をとる生活用具である。下には4本の細長い蹄足をもつ。両側に鎖があり、吊るすこともできた。
 
炭箕は方炉に付属する生活用具である。火種は木炭を使用した。器は箕形状で,把手があり,器面には三角形の孔が空いて灰を落とすように出来ている。
 
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蟠螭紋鎛。春秋時代。BC770BC403年。晩期。
1935年河南省輝県琉璃閣甲墓から出土。
26.3㎝、幅19.3㎝、紐高7.1㎝。
鎛(はく)は吊り下げて胴部を撞木や木槌で打って鳴らす鐘で、儀式において重要な役割を果たした。大小の鐘を連ねて旋律を奏でるようにしたものもあるが、このように大型のものは単独でも用いられた。
 
琉璃閣甲墓から出土した「複紐編鐘」は出土時に九件あり,八件は河南省博物院が所蔵しており、,本館は一件を収蔵している。この鐘は平口であるため、「鎛」または「編鎛」とよばれる。
舞部は蟠螭文で装飾され、舞部の上には蟠螭複鈕が立つ。篆部は蟠虺文,鼓部は顧龍文で装飾されている。鉦部の一面には一つの小さい長方形の孔があり、調音の役割を果たすとされる。
 
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蟠龍文方壺。春秋時代。
BC770BC403年。晩期。
1935年河南省輝県琉璃閣甲墓から出土。
 
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蟠螭文沿耳鼎。春秋時代。
BC770BC403年。晩期。
1935年河南省輝県琉璃閣甲墓から出土。
 
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髹漆蟠螭紋蓋豆(蟠螭文蓋付高足皿)。春秋時代。
BC770BC403年。
晩期。重要古物。
44㎝、径37㎝、足高10.5㎝、耳高10.5㎝。1935年河南省輝県琉璃閣甲墓から出土。
髹漆(きゅうしつ)とは器物に漆を塗ること。また、漆を塗った器物。
豆(とう)は高脚を伴う高杯状の盛食器で、身の部分は浅い皿状が基本形である。穀物、スープ、漬物などを盛った。土器としては新石器時代から存在し、青銅器としては西周前期からあるが、増えるのは西周後期以降で、戦国時代まで製作された。春秋時代後期からは細長いフォルムになり、蓋付きとなった。
 
この豆は蓋があり、その頂には六柱の透かし彫りの捉手がある。蓋を反転させて置けば,盤になる。,耳は外に湾曲している。器腹は蟠螭文で装飾され,凸弦文で隔たれている。蓋の口沿にも蟠螭文がある。

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