デヴィッド・ボウイDavid Bowie(1947年~2016年1月10日)は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得る。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティストとして知られている。1996年『ロックの殿堂』入り。1985年・2017年度『グラミー賞』受賞。NME誌選出『史上最も影響力のあるアーティスト』など。
私としては、1972年の「スターマン」あたりから知った。この曲のサビはなかなか出来がよい。しかし、その後、音楽雑誌で見る姿や音楽には長い間共感できなかった。
1983年の「レッツ・ダンス」は初めてまともなポップスと思える曲で、大ヒットしたのはうなずける。サビの室内シーンの部分は83年当時テレビのCMで見たような記憶がある。2003年のステップワゴンもそうかもしれないが。この曲は名曲。
ただし、代表曲となると、ジャンルが多すぎてどの曲になるかはファン次第。私はファンではない。
「スペイス・オディティ」space oddity。1969年。
1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、アルバム『スペイス・オディティ』を制作。アポロ11号の月面着陸に合わせて、その直前にシングル「スペイス・オディティ」をリリース。全英チャート5位、全米チャート15位まで上がり、人気ミュージシャンの仲間入りを果たした。
メイジャー・トム(トム少佐)が印象的。MTV時代に見て、良曲と思った。ジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニバース」に似た曲調。
「スターマン」(Starman)。1972年4月にシングルとしてリリース。アルバム『ジギー・スターダスト』に収録された。
歌詞は、地球の若者たちへ希望のメッセージを伝えるジギー・スターダストを描写する。ジギーはラジオから、宇宙の存在「スターマン」により救済されるというメッセージを伝える。物語は、ジギーを聴いている若者たちの1人の視点から語られる。
「レッツ・ダンス」(Let's Dance)はアルバム『レッツ・ダンス』のタイトルトラック。ファーストシングルとして1983年に発売され、ボウイのシングルとしてトップクラスの売り上げを誇る曲となった。
1980年代はナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム『レッツ・ダンス』はキャリア最大のヒット・アルバムとなり、ファン層を広げた。カルトヒーローからメジャーロックスターの座につくことになった。
このシングルはイギリスのシングルチャートで登場週に5位に入り、その週に1位だったデュラン・デュランの「プリーズ・テル・ミー・ナウ」(Is ThereSomething I Should Know?)を2週後には追い抜くという、非常に速いスピードでヒットした。そして、その後すぐにBillboard Hot 100でも1位となり、ボウイにとって大西洋の両側で1位を獲得した初めてのシングルとなった。
ナイル・ロジャースが彼のバンド「シック」と活動したときの影響を強く受け、「レッツ・ダンス」はサンプリングしたベースラインをフィーチャーしている。それがボウイの曲の中で最もコマーシャルなレコードになったポイントだ。歌詞は表向きただのダンスミュージックであるが、一部に合致しないところがある。
孤独や絶望が垣間見えるミュージック・ビデオは、デヴィッド・マレットがオーストラリアを舞台に制作した。ポート・ジャクソン湾も含まれる。ビデオではボウイはアボリジニのカップルが西洋の文化的帝国主義のメタファーにもがき苦しむところを見ている。ビデオの中でボウイはバンドと曲を演奏している。
ボウイはこの曲で無名だが天才ブルース・ギタリストのスティーヴ・レイ・ヴォーンを起用した。