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ロックの名曲 ステッペンウルフ  「 Magic Carpet Ride」「Born to Be Wild」

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ステッペンウルフSteppenwolf  「 Magic Carpet RideBorn to Be Wild
 

Born to Be Wild」が彼らの代表曲であることは間違いない。
しかし、日本で初めて注目されたのは、「Magic Carpet Ride」(196812月頃)からである。.
映画「イージー・ライダー」の公開はアメリカで19697月、日本では1970131日であったので、挿入歌となった「Born to Be Wild」が日本でヒットしたのは、1969年夏以降、おそらく19701月以降だったと推測するのが妥当だ。
このあたりは、「ミュージック・ライフ」などで検証すれば分かる。
 
Wikiall musicなどでは、「Born To Be Wild」は19688月に全米2位、次のシングル「Magic Carpet Ride」も196812月にキャッシュボックスで2位になったとあり、この順でヒットした、とある。
これ自体は事実だが、ヒットした順番は、アメリカと日本では逆である。
 
当時複数のラジオの音楽番組を聞いてヒット曲をチェックしていた。曲紹介は読者からのリクエストによる番付でされることが多かったのだが、「Born To Be Wild」は聴いた記憶がなく、日本ではヒットしなかったといえる。
初発当時「Born To Be Wild」はイギリスでは30位で留まったという。アメリカ・カナダを除く全世界でも同様だったろう。埋もれていた「Born To Be Wild」が再び脚光を浴びて世界的に大ヒットしたのは、1969年夏以降なのである。

私の記憶では、「Magic Carpet Ride」のあとに「Born To Be Wild」が作られたという感覚しかなかった。
1970年代までは、アメリカでヒットした曲のあとに、その前の曲を日本で後発として発売するということが頻繁に行われていた。

ライナーノーツを見ても、Born To Be Wild」の記述はない。日本でヒットしていたのなら、レーベルが違っても言及されるはずだ。それがないことが、Born To Be Wild」が日本では知られていなかったことの傍証となる。
 
最近、上柴とおる氏の「ポップス再前線デビュー50周年ステッペンウルフ」を見た。
日本での彼らのレコード・デビューは196710月で、「A Girl I Knew(あの娘のおもかげ)」。次が19682月「Sookie Sookie(スキ・スキ・スー)」(ビクター)3枚目の「ワイルドでいこう」は、19689月(ビクター)。
196812月「マジック・カーペット・ライド」が「スキ・スキ・スー」とのカップリングで、ビクターから東芝音楽工業への移籍第一弾としてリリースされた。次の「ロック・ミー」(19695月)では日本独自に「ワイルドでいこう!」がB面に収められた。
 
「マジック・カーペット・ライド」が196812月に東芝の音楽番組で紹介されて、一発で気に入りシングルを購入した。歯切れよく、それでいて幻想的なオルガンに惚れた。ボーカルも力強い。ハードロックというより、サイケデリックロックのジャンルの名曲。
 
ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」はアメリカンハードロックの先駆けの曲で以降グランドファンクなどに影響を与えたと思う。付け加えるなら、野太い、豪快まさにワイルドなボーカルは驚きだったこと。
 
リーダーのジョン・ケイの好きなミュージシャンは「クリーム」と「ジミ・ヘンドリックス」という。
古いロックンロールからロックが新しい地平に入ったのはこの頃で、「クリーム」と「ジミ・ヘンドリックス」の存在は大きかった。その派生として多くのバンドが出現したが、「レッド・ツェッペリン」とそのフォロワーがハードロックの主流となっていった。

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