「太平洋戦争日本語諜報戦 言語官の活躍と試練」(2018年、武田珂代子、ちくま新書)についての、2018年10月7日付け中日新聞・ソーントン不破直子氏(アメリカ文学・比較文学者、日本女子大学名誉教授)の書評を読み、現代日本社会への警鐘であると感じた。
書評の摘要。
「実際の戦闘前にこれほど敵のことを知っていた戦争はこれまでになかった」とダグラス・マッカーサーは言ったそうだ。
本書は太平洋戦争の対日諜報戦において米英などの言語官がどのように関わったかを、言語官の受容条件や処遇などを通して多面的に示している。
米国は明治時代から軍人の日本語習得に対応し、太平洋戦争直前には日系二世と日本育ちの帰米者を軍の言語官として活用した。
二世語学兵は日本軍の交信を傍受し、山本五十六の乗る航空機を特定するなど多くの戦果をあげた。
他方、日本軍兵士は日記をつけ、捕虜となったらいかに返答するかも教えられず(日本軍は囚われたら自決することになっていたから)、彼らの無防備な日記中の情報や返答が日本語通訳官を通して米軍に筒抜けだった。
日本の敗戦、いや開戦自体が、いかに日本の自己満足の結果であったかが今さらながらに分かる。
戦後、米英の軍専用の言語学校が優秀な日本学者を輩出し、日本を世界に開き、日本人自身が自己を世界的視点で見る機会を提供している。
戦後の高度成長期に、日本は戦前のような自己満足に浸っていなかったかを思わずにいられなかった。(以上)
<感想>
日本軍捕虜が米軍に情報を提供してしまうことになった例が多かったのは、ドナルド・キーン氏の随筆やNHKの特集番組でも紹介されており、既知の事実。
「日本軍は囚われたら自決することになっていたから、日本軍兵士は日記をつけ、捕虜となったらいかに返答するかも教えられていなかった。」
これは、原発安全神話と同じだ。最近、田辺文也氏の放送大学の特別講義「未来への教訓 検証・福島第一原発事故」を見て、思い出した。原発は安全だから事故を想定しての安全訓練はしないという発想と同じだ。
「戦後の高度成長期に、日本は戦前のような自己満足に浸っていなかったかを思わずにいられなかった。」
戦後の高度成長期どころか現在の日本でも現状に自己満足する人が多い。「日本はすごい、日本の技術が一番だ、日本独自の技術でいい、海外に学ぶ必要はない」という人が多い。批判すると、日本バッシング、とか自虐とか騒ぐ。
グローバルな経済競争をするには世界標準の技術を知りマスターすることが必要だ。
日本だけでしか通用しない技術方式でいいと言っていたら、結局は中国や韓国の家電製品を使わねばならなくなる破目に陥る。私は安全・安心・安価な世界標準の日本製品を使いたい。
だから、「日本を世界に開き、日本人自身が自己を世界的視点で見る」ことは是非とも必要なのだ。中国や韓国に勝つ国力を持つためには、内弁慶ではだめなのだ。