志段味大塚古墳の王。
「体感!しだみ古墳群ミュージアム」。2019年4月14日(日)見学。
乗馬する志段味大塚古墳の王。
志段味大塚古墳の王の軍隊。想像図。
志段味大塚古墳の王は、地域の最有力者に次ぐランクに位置づけられる。
5世紀後半になると、各地の王のもとに軍隊が造られ、軍隊は刀や剣、弓矢をもつ歩兵たちで編制されていた。
帆立貝式古墳は、ヤマト王権が強大化し、大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)など巨大古墳が造られた時代の5世紀から6世紀前半に多くが造られた。
帆立貝式古墳の被葬者像としては、大王に近侍する武人や、在来の強い地方勢力を抑えるためにヤマト王権によって地方に配置された軍事的首長が想定される。
志段味大塚古墳・西大久手古墳という畿内的要素の強い大小の帆立貝式古墳を築造した人々は、単なる在地集団ではなく、ヤマト王権との強いつながりをもっており、5世紀末頃に何らかの理由で急速に在地社会のなかに土着した集団といえる。
そして6世紀前半、勝手塚古墳の築造を最後に活動を終えた。
乗馬する志段味大塚古墳の王。
復元された大刀。
弓矢。
一番使われた武器は弓矢であった。2mほどの弓から鉄の矢じりをつけた矢を放って攻撃した。
鉄鏃。津賀田古墳(名古屋市瑞穂区津賀田町)出土。6世紀前半ごろ築造。
鉄鏃。
長身の矢じりは長頸鏃とよばれ貫通力が強く、5世紀後半から一般化した。
志段味大塚古墳からは数百本にのぼる長頸鏃が出土した。
鉄鏃。志段味大塚古墳、第1埋葬施設出土。
挂甲小札(けいこうこざね)。志段味大塚古墳、第1埋葬施設出土。
挂甲は下半身まで防御する膝丈の長い甲(よろい)で、小札という大小や形状が異なる数種類の短冊状の鉄板を革紐で綴じて作られた。可動性があるため動きやすく、4~6世紀の中国・朝鮮半島で騎兵用の武装として使われた。
志段味大塚古墳では約120点もの挂甲小札が出土しており、胴・肩・腕など複数の防具からなる挂甲の全装備を持っていたようである。
釘・鎹(かすがい)状金具。志段味大塚古墳、第2埋葬施設出土。
用途は不明だが、木棺に何かを取り付ける用途、埋葬施設の上や周囲を天幕状の布で覆う用途が推定される。5世紀の古墳では珍しい出土例である。
企画展示。特別公開「京都大学所蔵・志段味大塚古墳出土副葬品」。
6月23日まで展示される。
志段味大塚古墳出土副葬品の特色。
5世紀後半を特徴づける副葬品。武具や鈴がついた副葬品が多いことが特徴。
冑(かぶと)。五鈴鏡(ごれいきょう)。
冑は鋲留甲冑の破片で、衝角付冑の衝角部分の破片と思われる。
鈴鏡は周縁に4個から10個の小鈴をつけた銅鏡で、5~6世紀の日本独自の形式の鏡である。東日本で盛んであった鈴付きの青銅器を多用する文化圏の影響が考えられる。
鈴の中には小石が入っており、鏡の図像面には赤い水銀朱が付着している。
鉄鏃、挂甲小札、帯金具。
鉄鏃には、矢の幹に使われた竹が残っている。
帯金具は中国の将軍級の武人が甲冑の上から締め、身分を示すための帯の飾りである。4世紀から次第に朝鮮半島・日本にも伝わった。
志段味大塚古墳の帯金具は全面が金で装飾された金銅装の金具で、線により細かい文様が装飾されている。
馬具の位置図。
五鈴杏葉。三環鈴。鈴付楕円形鏡板(五鈴鏡板付轡)。
杏葉(ぎょうよう)は、馬の胴や尻を飾る装飾で、革帯から吊るした。
三環鈴は、4~5世紀前半の中国東北地方の騎馬国家「燕」に起源をもつ青銅器である。
鈴付楕円形鏡板(五鈴鏡板付轡)は轡(くつわ)の一部で、馬の口の両側に付け、馬を操るため口にくわえさせた銜(はみ)の脱落を防ぐ役目と装飾の意味を兼ねていた。
木芯鉄板張輪鐙。
鐙(あぶみ)は、馬に乗るとき足をかけ、身体の安定を保つための馬具である。足をかける部分が輪っか状の形をした輪鐙は、木製の芯の表面に鉄板を張って頑丈にされている。
復元された大刀と甲冑。
復元された鈴付楕円形鏡板(五鈴鏡板付轡)。
復元された三環鈴。
復元された木芯鉄板張輪鐙。
復 元された五鈴杏葉。