志段味大塚古墳・五鈴鏡。
5世紀後半の築造とされる志段味大塚古墳からは、鈴鏡(れいきょう)と鈴付の鋳銅製の馬具(鏡板・杏葉)と三環鈴が出土したが、ひとつの古墳からまとまって出土するのは珍しく、古墳時代の日本や東海地方の文化を考える上で重要な資料である。
志段味大塚古墳・五鈴鏡。横から。
志段味大塚古墳・五鈴鏡。文様・断面。
面径11.0㎝、重さ170g、内区厚み1㎜、縁の厚み3㎜。
鈴鏡(れいきょうは、周縁に4~10個の小鈴をつけた日本独自の青銅鏡である。古墳時代後期(5~6世紀)のもので,鏡背の文様には同時代の青銅鏡にみられる変形の獣形文や唐草化した文様などが施されている。分布は北九州から東北地方にまで及ぶが,特に関東,中部地方に多い。鈴鏡を腰に下げた巫女のような埴輪が残っている。
背面を図像文様で飾り,その中央に半球形の鈕(ちゆう)をそなえる点では,他の仿製鏡と同じであるが,周縁に球形に近い鈴が突出付加された形状となったもので,本来鏡のもった映像反射機能をほとんど失って音響発振具と化した鏡としては日本独自のものである。
鈴部分は,鏡本体部分と同一の鋳型で同時に鋳造したもので,別に製作した鈴を本体に接合したものではない。鈴の内部には通常小石粒をいれて丸(がん)としている。
「体感!しだみ古墳群ミュージアム」開館記念行事として、2019年4月14日(日)に「第1回しだみゅーシンポジウム 志段味大塚古墳の鈴が鳴る」、4月21日(日)にしだみゅー歴史講演会の「志段味大塚古墳の主を視る」シリーズの第1回講演会「鈴鏡から文化を視る(講師・赤塚次郎・NPOニワ里ネット)が開催されたので、聴講した。料金はいずれも500円。
満員盛況で、鈴和(れいわ)元年を迎えるにふさわしい行事であった。
4月14日の「第1回しだみゅーシンポジウム 志段味大塚古墳の鈴が鳴る」で挨拶する赤塚次郎氏。今後、月1回開催される歴史講演会は、赤塚次郎氏がコーディネートしたもの。
チラシ。「第1回しだみゅーシンポジウム 志段味大塚古墳の鈴が鳴る」。
基調講演「鈴鏡・銅鏡から見えてくる古墳文化」。
大手前大学大学院教授・森下章司氏。
講演資料・表紙。「第1回しだみゅーシンポジウム 志段味大塚古墳の鈴が鳴る」。
4月21日に受付で500円で販売していた。原価はそれなりであっても価格設定がおかしい。
鈴鏡(れいきょう)。常設展示から。
用途と製法。
製法。
巫女形埴輪の鈴鏡。群馬県太田市塚廻り3号墳出土。
出土品は東国に多く、鈴鏡の製作された時期になると、鏡を墳墓に副葬する習俗が東国以外ではしだいに衰退していったことによるものであろう。腰に鈴鏡をつけた、いわゆる巫女埴輪にうかがえるように、この時代の鏡が呪具であったことを示す典型といえよう。
鈴鏡の部分名称図。
鈴鏡の分布。森下章司氏講演資料。
鈴鏡や鈴付馬具は、一般に東日本に多いといわれるが、分布をみると、地域ごとにまとまりがある。
河内・伊那谷・上毛野など官馬を飼育する牧が置かれた地域と重なる。
名古屋地域から出土した鈴鏡。森下章司氏講演資料。
志段味大塚古墳をはじめ名古屋地域の古墳からは鈴製品が多数出土しており、この種の器物が儀式や祭りで重視された地域であると考えられる。
伊勢湾地域の鈴鏡の文様別の分布図。4月21日の赤塚次郎氏講演会。
志段味大塚古墳出土の鈴鏡は「S字・組紐文」に分類され、美濃・尾張・志摩に分布が偏在する珍しい種類である。志摩の泊古墳出土の五鈴鏡は同型鏡である。
鈴鏡の文様。乳脚文。赤塚次郎氏資料。
鈴鏡の文様。獣形文。赤塚次郎氏資料。
赤塚氏によれば、馬と水神、雨乞い、土馬、絵馬と関連してくるのではないかとのこと。
大阪府四条畷市立歴史民俗資料館の見学メモから。
古墳時代の四條畷市は河内湖のほとりにあった。馬は古墳時代の中頃に朝鮮半島から準構造船に乗って難波の津から河内湖に入り、四條畷で馬をおろした。
馬は渡来人によって飼育された。四條畷市は西に湖、東に生駒山系の山並みにはさまれた場所にあり、山系からはいく筋もの川が流れ出していて、牧場の柵の役目を果たした。起伏に富んだ地形は馬を訓練するのには最適であった。
馬飼いの長だった河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)は渡来系集団の結束力と情報能力にすぐれ、継体天皇と密接な関係を築きあげた。継体天皇は荒籠の導きによって枚方市の楠葉で天皇に即位し、淀川の水運を掌握、淀川・琵琶湖の水運によって北陸地方、瀬戸内地方、東国へと勢力をのばした。