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志段味古墳群 その7 西大久手古墳・志段味大塚古墳などの帆立貝式古墳と埴輪

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巫女形埴輪。西大久手古墳出土。

「体感!しだみ古墳群ミュージアム」。2019414日(日)見学。
 
5世紀中頃から6世紀初めの志段味古墳群の首長墓。
西大久手古墳(5世紀中頃)→大久手5号墳(5世紀後半)→東大久手古墳(5世紀末)の順と志段味大塚古墳(5世紀後半)→勝手塚古墳(6世紀初め)の順で築造された二つの首長墓の系譜に分けられる。
 
帆立貝式古墳は、ヤマト王権が強大化し、大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)など巨大古墳が造られた時代の5世紀から6世紀前半に多く造られた。
帆立貝式古墳の被葬者像としては、大王に近侍する武人や、在来の強い地方勢力を抑えるためにヤマト王権によって地方に配置された軍事的首長が考えられている。
志段味大塚古墳・西大久手古墳という畿内的要素の強い大小の帆立貝式古墳を築造した人々は、単なる在地集団ではなく、ヤマト王権との強いつながりをもっており、5世紀末頃に何らかの理由で急速に在地社会のなかに土着した集団といえる。そして6世紀前半、勝手塚古墳の築造を最後に活動を終えた。
 
西大久手古墳(5世紀中頃)。帆立貝式古墳(墳長約37m・後円部径約26m・前方部長約13m)。
南側のくびれ部付近から巫女形埴輪・鶏形埴輪・須恵器、前方部の前面からは馬形埴輪が出土した。巫女形埴輪や馬形埴輪は、東日本最古級の事例のひとつで、当時の畿内の特徴をもつ。
 
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馬形埴輪。西大久手古墳出土。
 
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鶏形埴輪。西大久手古墳出土。
頭部や丸みを帯びた体を忠実に表現している点や、首から頭部を粘土紐輪積みで中空に作る点など、造形と技法に畿内の埴輪との共通性が強い。
 
大久手5号墳(5世紀後半)。帆立貝式古墳(墳長推定約38m)。
円筒埴輪・須恵器が出土。
 
東大久手古墳(5世紀末)。帆立貝式古墳(墳長約39m・後円部径約27m・前方部長約12m
円筒埴輪・朝顔形埴輪・須恵器が出土。後円部一段目の埴輪列の円筒埴輪は尾張型埴輪とよばれるタイプで、須恵器と同じく灰褐色で硬く焼成され、突帯が2条めぐる3段構成のもの。

 

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須恵器の高坏・壺。東大久手古墳出土。
 
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埼玉稲荷山古墳に運ばれた尾張の須恵器。
 
志段味大塚古墳(5世紀後半)。帆立貝式古墳(墳長約51m・後円部径約39m・前方部長約13m)。
埋葬施設から鈴鏡・馬具・甲冑・帯金具・大刀・鉄鏃・革盾など、墳丘から円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・鶏形埴輪・水鳥形埴輪・須恵器・須恵器形土製品が出土。
 
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円筒埴輪。志段味大塚古墳出土。
 
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志段味大塚古墳の造り出しに置かれた特別な器。説明。
 
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造り出しに置かれた特別な器。志段味大塚古墳出土。
須恵器形土製品の高坏・器台・壺。須恵器の𤭯(はそう)。
 
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鶏形埴輪・水鳥形埴輪。志段味大塚古墳出土。
 
勝手塚古墳(6世紀初め)。帆立貝式古墳(墳長約55m、後円部径約41m・前方部長約15m)。
円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・人物埴輪が出土。
 
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円筒埴輪。勝手塚古墳出土。
紐がずれた跡、叩き板で叩いた跡、縄の跡、倒立前の底の位置が表示されている。
 
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円筒埴輪の階層。断夫山古墳、勝手塚古墳、東大久手古墳。
 
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円筒埴輪。断夫山古墳、勝手塚古墳、東大久手古墳。
 
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円筒埴輪。断夫山古墳、勝手塚古墳。
 
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円筒埴輪。牛牧離レ松遺跡第
9号遺構出土。5世紀後半。方墳。
窖窯焼成で、外面調整は一次調整のタテハケのみ。尾張の中期古墳では例が少ない。
  
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円筒埴輪。東大久手古墳出土。
 
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円筒埴輪。東大久手古墳出土。
紐がずれた跡や、口縁に記号がある。
 
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円筒埴輪。西大久手古墳、城山
23号窯(尾張旭市)出土。
城山23号窯は5世紀後半の須恵器と埴輪の兼業窯。
 
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城山
23号窯製作の円筒埴輪は西大久手古墳・東大久手古墳・牛牧離レ松遺跡へ運ばれた。
 
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円筒埴輪の記号。
ヘラ描き記号は窯や製作者の印だと考えられる。
 
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円筒埴輪の記号。
 
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円筒埴輪の記号。
 
尾張型円筒埴輪について。
古墳時代中期以来、須恵器の大生産地であった尾張では、5世紀後半までは古墳ごとに円筒埴輪の製作技法は違っており、統一されていなかった。
古墳時代後期の5世紀末になると、円筒埴輪の形や大きさが規格化され、製作技法の種類や組合せが画一化し、古墳のランクに応じて製作されるようになり、須恵器の技術を応用した独特の円筒埴輪は濃尾平野全域および三河や三重県域の一部にまで広く供給され、尾張独特の円筒埴輪を「猿投型」あるいは「尾張型」とよばれた。
猿投型(尾張型)円筒埴輪は、回転台(ロクロ)成形、内外面の回転横ハケ、回転台離脱のための底部回転切り離し、ヒモを用いた未乾燥埴輪の移動といった特殊な製作技法群によって成立している。さらに、大型品では倒立技法、一部の個体または地域では灰色の須恵質焼成も確認でき、須恵器生産が盛んであった尾張の窯業技術を活用して生産効率性を極限まで高めた埴輪生産の確立が、猿投型円筒埴輪の登場をもたらしたといえる。

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