Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

志段味古墳群 その10 庄内川の水上交通 川湊(天白元屋敷遺跡、海東遺跡)など

$
0
0
イメージ 1
庄内川の水上交通。天白元屋敷遺跡、海東遺跡。
「体感!しだみ古墳群ミュージアム」。2019414日(日)見学。
 
イメージ 2
天白元屋敷遺跡。弥生時代から室町時代までの遺跡である。
志段味古墳群周辺の庄内川南岸には、古墳時代の遺跡として天白元屋敷遺跡、海東遺跡があり、川湊として、河川交通・交易の拠点集落であったと考えられる。
 
イメージ 3
弥生土器 壺 天白元屋敷遺跡出土。
 
イメージ 4
土師器 甕 壺 高坏 古墳時代 天白元屋敷遺跡出土。
 
イメージ 5
須恵器 𤭯(はそう)、高坏。古墳時代。海東遺跡(名古屋市守山区)出土。
海東遺跡は庄内川左岸の上志段味地区にあり、勝手塚古墳の北北西に位置する。
 
イメージ 6
(右)須恵器 高坏 古墳時代・飛鳥時代。 天白元屋敷遺跡出土。
(左)須恵器 坏 奈良時代。 天白元屋敷遺跡出土。
 
古墳時代、庄内川南岸の志段味地区および西接する吉根地区では古墳群の造営が盛行するのに対し、現在のところ、同地区の集落跡は希薄である。沖積低地の自然堤防上に立地する海東遺跡、天白元屋敷遺跡では、前期から終末期にかけての遺物は出土するが、遺構は少ない。
庄内川の北岸では、4 世紀前半に前方後方墳の高御堂古墳、4 世紀後半に円墳の天王山古墳が築造された。これらの古墳は弥生時代から継続する集落遺跡の近傍に築造されており、集落と古墳の関係が示唆される。その後も出川大塚古墳など大型の円墳や高蔵寺古墳群など横穴式石室を採用する小型の円墳が多く築かれた。
 
イメージ 7
鳥形硯 奈良時代 天白元屋敷遺跡出土。
 
7 世紀後半~8 世紀になると、海東遺跡、天白元屋敷遺跡では、前時期に比べ、遺構・遺物量が増加する。天白元屋敷遺跡では、掘立柱建物跡・竪穴建物跡・溝・土坑・盛土層が検出されている。注目される遺構として、最大幅 4m・検出長 92m以上ある「く」の字形に屈曲する大型の溝がある。大型の溝の埋土下層からは 7 世紀後半~8 世紀前半の遺物が出土しており、7 世紀代に掘削されたものと推定される。遺物は、鳥形硯・蹄脚硯といった特殊な形態のものを含む硯、銅製の具、瓦、「岡本」の刻字のある須恵器、灰釉陶器の香炉などが特筆される。
これらの遺構・遺物が見つかった古代の天白元屋敷遺跡の性格として、庄内川の川湊とその関連施設と推定される。
 
イメージ 8
天目茶碗。 山茶碗 碗・小皿 室町時代。 天白元屋敷遺跡出土。
天白元屋敷遺跡は中世に最盛期を迎える。遺跡範囲の南部では、幅 68mの区画溝で囲まれた南北約 100mの大型区画が見つかっている。区画の東辺には張り出し部が、南辺には土橋状に溝が切れている部分があり、そこに出入り口施設が推定されている。区画内から掘立柱建物跡や柵列など多数の遺構が見つかっている。現地に残る「元屋敷」の地名、希少な遺物を含む多量の遺物が出土していることなどから、この区画は志段味地区を治めていた水野氏に関わる屋敷地の可能性が指摘されており、時期は南北朝時代から戦国時代と推定されている。
 
天白元屋敷遺跡は、中志段味の守山高校北に位置する。
2010年から2011年にかけて、名古屋まちづくり公社が、事業計画の変更手続きを怠り、名古屋市教育委員会への事前届もせず、遺跡範囲で大規模な掘削作業を行い、遺跡を破壊した。
 
イメージ 9
櫂。若葉通遺跡(名古屋市北区)出土。 
 
イメージ 10
若葉通遺跡の櫂。
 
イメージ 11
紡錘車 ①伊勢山中学校遺跡(名古屋市中区)出土。古墳時代。
    ②正木町遺跡(名古屋市中区)出土。古墳時代。
 
紡錘(復元品)。竪三蔵通遺跡(名古屋市中区)出土。古墳時代。
 
5世紀の帆立貝式古墳の時代はヤマト王権が強大化して東アジアの国際舞台に進出し、馬具や金銀の装飾、新しい技術が伝わった時代である。尾張の勢力も若狭の集団と連携し、伊勢湾と日本海をまたぐ交流ネットワークを形成した。
5世紀の尾張の中心というべき集落は伊勢山中学校遺跡、正木町遺跡など名古屋台地の遺跡群であった。初期須恵器や韓式系土器、かまどなど朝鮮半島渡来の品物や文化が集まった。朝鮮半島出身者も含めて、多くの地域の人々が名古屋台地や伊勢湾の港湾拠点であった熱田台地に集散し、漁労や港湾としての海路交易、交易品の収納管理などの機能に携わったと考えられる。
 
イメージ 12
古代人体験コーナー。衣装とかつらが用意されている。
 
イメージ 13
古代人体験コーナー。コスプレをしているファミリー。
 
イメージ 14
古代人体験コーナー。
 
イメージ 15
古代人体験コーナー。
 
イメージ 16
古代人体験コーナー。
 
イメージ 17
古代人体験コーナー。
 
イメージ 18
古代人体験コーナー。
 
イメージ 19
古代人体験コーナー。
 
イメージ 20
古代人体験コーナー。
 
古代人体験コーナーは「体感」とネーミングした要素の一つのコーナーであろう。館内では「こどもこふん」コーナー、体験活動室では埴輪づくり、勾玉づくりなどが体験できる。屋外では、古代生活体験(火おこし・狩猟・石包丁)や古墳ガイドツアーも用意されている。
一般の市民や子供は、難しい古代史に興味がないだろうから、雰囲気を味わってもらおうという趣旨であろう。ミュージアム業界では、ここ20年ほどで顕著になった傾向である。悪いことではないが、目的は博物館なりが本当に知ってほしいことへの糸口になるためであり、目的を忘れて手段の矮小化のみが強調されてしまう傾向にある。その悪しき例がこのミュージアムである。
 
古代史を推理する楽しみ、古墳の変遷を動かした歴史的・社会構造的要因、尾張氏との関連はほとんど紹介されていない。展示資料の価値が理解できるように解説は詳しいものを大量に要望したい。
 
古代人体験コーナーは本来の展示スペースとして、史的・社会構造的要因、尾張氏との関連を紹介するコーナーにするべきだ。
古代人体験コーナーは室内の別の場所に変更すればいい。有料の展示室内にある現状をふまえれば、有料にすればいい。衣装は大量生産して土産にすれば、古墳群を歩きまわることも可能だろう。
 
https://www.rekishinosato.city.nagoya.jp/pdf/hozonkanrikeikaku.pdf「史跡志段味古墳群保存管理計画(平成 273月名古屋市教育委員会)」が詳しい解説であることに、最近ようやく気付いた。名前が誤解を生む。保存管理とあるので、とばしていた。それだけではなく、基本資料や歴史が詳説してあり、最後に整備方針が述べてある。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles