滋賀県を2019年5月8日から20日まで13日間、車中泊旅行し、歴史散歩などした。自宅・名古屋からの往復走行距離は約1000km、ガソリン代約8700円を含め、旅行費用は約23,000円。
身体障害者1級になって初めての、長期旅行だった。心臓への負担を感じ、運転によるストレスも重なったので、時計回りで回って長浜で見学予定の約80%を終えた段階で、予定より早く帰宅した。
竹生島航路が今津で18・19日の土日が欠航となり、長浜からの20日も欠航だった。博物館が月・火休館のところもあるので、他日を期すことにした。自宅から長浜までは、一般道で2時間半ほどである。
滋賀県は名古屋から交通アクセスが良く、30~40年前に彦根城、比叡山、園城寺、石山寺、坂本、湖東三山、永源寺を見学し、20年ほど前に長浜、余呉湖を見学しているが、安土城は整備待ちで行っていないし、近江八幡も訪れたことはない。
身体障害者の無料・割引を利用し、約5000円得をした。彦根城、安土城考古博物館、佐川美術館、琵琶湖博物館は無料だった。サイトにないところも、尋ねると無料や半額の施設もあったし、確認すれば良かったという施設もあった。一番期待した竹生島航路半額は欠航のため使用できなかった。
2019年5月8日(水)昼ごろに名古屋市守山区を出発し、濃尾大橋経由で国道21号線に入った。このルートは2008年山陰旅行で舞鶴へ向かったルートだが、ローカル過ぎて時間を要した。帰路のように21号線岐南インターを経由した方が早いと分かった。
14時30分ごろ、最初の見学ポイントの米原市柏原に到着。もぐさ屋「亀屋左京店」が目当て。駐車スペースがなく、5分余り捜し、西の外れに駐車。
入りづらい。時間がない。もぐさを買う気もないので、外観のみ撮影して辞去。
(左)丸亀藩4代藩主京極高矩(宝暦13(1763)年没)の木製霊屋と宝篋印塔。
(右)丸亀藩5代藩主京極高中(文化8(1811)年没)の木製霊屋と宝篋印塔。
柏原宿の北西に静寂な谷があり、奥まった場所にある徳源院に大名家京極氏歴代の宝篋印塔が並んでいる。
古くから近江に勢力を持った近江源氏佐々木氏は鎌倉時代中期に嫡流の六角氏や京極氏などに分かれた。六角氏と京極氏は近江を二分して支配したが、六角氏は織田信長に滅ぼされた。京極氏は命脈を保って大名家として明治維新にいたった。
京極氏が最初に本拠地としたのが、この清滝で、当寺は初代氏信が菩提寺として創建したという。
京極氏信は、承久2(1220)年、後に近江国守護に任ぜられる佐々木信綱と、その正室である2代執権・北条義時の娘との間に四男として生まれたとされる。
京極高清は永正2(1505)年に、鎌倉時代以来の本拠地であった柏原から、伊吹山南麓の上平寺(米原市)へ拠点を移し、北近江支配の拠点とした。
京極氏歴代では、室町時代初期の婆娑羅大名佐々木導誉(京極高氏)が著名である。関ヶ原の戦いのとき、大津城に籠城した京極高次は功により若狭を与えられた。
墓所は寛文12(1672)年に当寺を整備した丸亀藩主の京極高豊が歴代当主の宝篋印塔34基を整理して並べて造られた。
京極高中の木製霊屋と京極忠高(若狭小浜藩第2代藩主)、京極高和(丸亀藩初代藩主)の宝篋印塔。
このあと、醒ヶ井へ。