旧醒井郵便局舎(醒井宿資料館)。米原市醒井。
2019年5月8日(水)。
中山道の柏原宿と京極家歴代墓所の見学を終え、醒井宿に向かった。21号線を醒ヶ井駅前で左折すると、ほどなく旧醒井郵便局舎があった。駐車スペースがないので支障のない路肩に駐車した。
ヴォーリズ建築を見ることが今回の目的の一つであり、最初の見学建築物となった。
旧醒井郵便局舎はヴォーリズが設計に関わったとされる木造2階建ての擬洋風建物で、大正4(1915)年に建造され昭和48(1973)年まで醒井郵便局として使用された。ネオクラシシズムな外観は当時、大変モダンであった。
現存の局舎は昭和9(1934)年外側をモルタル張りにして、玄関の位置や内部の間取りを変更したものである。
旧醒井郵便局舎。1階内部。
館内は1階展示室をパネル等による醒井宿の紹介にあてるとともに休憩所として無料開放し、有料ゾーンの2階展示室では醒井宿の庄屋・問屋を代々務めた江龍宗左衛門家伝来の絵図や古文書を展示している。
「いさめばし居醒橋」。
居醒橋は地蔵川に架かる橋で、この先から旧中山道の旧道になる。
2018年12月3日放送の「鶴瓶の家族に乾杯」では、この辺りからストーリーが始まった。
車で東の居醒の清水(いさめのしみず)方向へ向かうと、都合よく無料駐車場があった。
地蔵川。
地蔵川は、居醒の清水などから湧き出る清水によってできた川で、大変珍しい水中花「梅花藻(バイカモ)」で有名で、水温は年間を通じて14度程度と安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息している。
地蔵川の「梅花藻(バイカモ)」。
ハリヨの姿が見えないかと捜すが、気配はない。
水汲み場。
地蔵堂へ入ると、居醒の清水のある池の端に水汲み場があり、柄杓で水を飲むことができる。
平成の名水百選「居醒の清水(いさめのしみず)」。
標識は池の中に立っているのは珍しい。水は神社の石垣の間から湧いているという。
日本武尊が伊吹山で荒ぶる神に痛めつけられたが、この清水で回復したという伝説がある。
鮫島中将の歌碑。池のほとりに立っている。
鮫島中将の歌碑。説明板。
北白川能久親王は、明治28(1895)年、日清戦争によって日本に割譲された台湾征討近衛師団長として出征したが、現地でマラリアに罹り、10月28日、台湾全土平定直前に台南で亡くなった。
北白川能久親王は病床で「水を、冷たい水を」と所望したが、水はない。付き添っていた鮫島参謀は、かって醒井に来た時の水の冷たさを思い起こし、1枚の紙に「あらばいま 捧げまほしく 醒井の うまし真清水 ひとしずくだに」と詠んで親王に見せると、親王もにっこりしたと伝えられている。
この歌碑がなぜ残っているのか理解しにくい。文化財なので残してもいいのだが、疑問点が多い。北白川能久親王と鮫島参謀は、二人とも醒井に来たことがあるのか。鮫島参謀だけなのか。水がない状況で、水を思い起こせという歌だけ詠まれても、かえって水の欠乏感が強まっただけではないのか。
鮫島重雄(さめしましげお、1849年~1928年)は、薩摩出身の陸軍軍人で最高位は陸軍大将。
1894年(明治27年)6月18日に工兵大佐・近衛師団参謀長となる。1904年(明治37年)9月に陸軍中将、1911年(明治44年)9月陸軍大将昇任なので、1904年から1911年の間に歌碑が建立されたようだ。
このあと、番場宿付近にある蓮華寺へ向かった。