Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

岡山市 旧旭東幼稚園園舎(八角園舎) 旧陸軍第十七師団の遺構 旧岡山偕行社 旧陸軍第17師団・歩兵第33旅団司令部庁舎 備前国庁跡 

$
0
0
イメージ 1
旧旭東幼稚園園舎(八角園舎)。重文。岡山市北区二日市町
平成26年5月16日(金)。
犬島見学を終え、13時30分過ぎに岡山市内方面へ向かった。重文の八角園舎は岡山市立中央図書館の敷地内にあるので、図書館の駐車場を目指した。旭川沿いの道路に駐車場があったが、有料だったので躊躇したが、そこしかないので、入ってみると、90分まで無料だった。八角園舎は図書館の東側にあり、現在は子供の遊戯室となっており、受付で記帳して入館した。
旧旭東幼稚園園舎は,岡山市旭東尋常小学校附属幼稚園の園舎として,小学校校舎とともに,明治41年6月に竣工した。設計は,岡山県工師の江川三郎八である。
昭和55年に解体保存され、現在地に移転の上、ほぼ明治末期の通りに平成10年に復元された。
 
イメージ 2
旧旭東幼稚園園舎。模型。展示室。八角形の遊戯室を中心に四方に保育室が出ている構造が分かる。
園舎は,木造平屋建で,八角形平面の遊戯室の四方に保育室などが取り付く,いわゆる梅鉢型の平面とする。遊戯室は,中心に八角形断面の柱を建て,周囲には当時では珍しい多数のガラス窓を巡らせるなど,採光に配慮したつくりとする。
屋根は直線部分が途中で折れ曲がったマンサード風の宝形屋根とし,保育室の小屋組は,洋小屋を組む。旧旭東幼稚園園舎は,梅鉢型平面を最初に採用した幼稚園園舎建築であり,梅鉢型園舎の原型となったことで,幼稚園史上,高い学術的価値が認められる。なお、明治時代末期から大正時代にかけ、岡山県下では8棟の幼稚園舎が建てられた。
 
イメージ 3
旧旭東幼稚園園舎。骨組模型。旧遷喬尋常小学校校舎(
岡山県真庭市)内展示。
 
イメージ 4
旧旭東幼稚園園舎。中央の遊戯室。一辺5.46mの
正八角形の部屋。遊戯室を中心として保母の目がたえず四方の部屋に行き届くように設計された室内保育重視型の建物で、創建当時の保育観がよく表れている。また、「円に近い八角形は人の心を落ち着かせる」と、江川は考えていたという。
 
イメージ 5
旧旭東幼稚園園舎。現・会議談話室。解体当時の板をそのまま利用した床。
 
イメージ 6
旧旭東幼稚園園舎。展示室。写真。大正7年
遊戯室でお話を聞く
 
イメージ 7
旧旭東幼稚園園舎。展示室。写真。昭和15
卒園式会食。遊戯室の床板が張りかえられている。
 
イメージ 8
旧旭東幼稚園園舎。展示室。写真。昭和54
年解体時遊戯室小屋組。
 天井板をとり除いたところ。和小屋にトラスを組み合わせている。
 
 
イメージ 19
 
イメージ 9
設計者江川三郎八について。旧遷喬尋常小学校校舎内展示室。
旧私立閑谷中学校本館・旧遷喬尋常小学校校舎(重文)・倉敷市歴史民族資料館など学校や近代建築の設計を多数手がけた。63歳で辞職した後も金光教など民間建築も多く手がけた。
14時50分頃、岡山県立博物館へ向かった。
 
イメージ 10
岡山県立博物館。朱千駄古墳石棺。屋外展示。朱千駄古墳は赤磐市の両宮山古墳から南西約600m
にある前方後円墳で、墳丘長は約65m。5世紀後半の築造とされる。明治の初め頃に後円部の内部主体が発掘され、組合せ式の長持型石棺内から銅鏡2面、蛇行状鉄器、勾玉・管玉、鉄槍などとともに大量の朱が発見された。石棺は6枚の石を組み合わせた長さ2.1m、幅約90㎝、高さ70の見事な長持型石棺で、石材は兵庫県の竜山石。
博物館の室内展示資料は撮影禁止であった。玄関横に数点の考古資料が展示されている。博物館は結構良質な内容だった。駐車場は後楽園と共通なので、遠くに駐車することになる。1時間ごとに100円なので、1時間以内に出庫した。後楽園は2回見学しているので、今回は省略。
県営総合グラウンドへ向かった。
 
イメージ 11
旧陸軍第十七師団の遺構。旧岡山偕行社。旧陸軍第十七師団は明治40
年に創設され、現在の岡山大学津島キャンパス構内及び周辺に当時建設された施設の遺構が残されている。キャンパスの南にある県営総合グラウンドは岡山練兵場の跡で、その敷地内に岡山偕行社は陸軍の将校社交場として明治43年に建てられた。昭和43年に元の位置からやや西に移築され、現在は総合グランドクラブとなっている。
建物の前では女子高生たちが、ラジカセでダンスの練習をしていた。駐車場は60分まで無料。
 
イメージ 12
旧岡山偕行社。内部。螺旋階段。内部には入館できる。レストランらしき設備があったが、16
時30分頃だったので、誰もいなかった。施設所有者は転々としたが、細部に面影は残っている。
 
イメージ 13
旧岡山偕行社。内部。螺旋階段。親柱のデザインは五芒星。星形五角形は陸軍採用の文様。
 
イメージ 14
旧岡山偕行社。内部。扉横の壁隅部にも草花文様がデザインされている。
 
イメージ 15
旧陸軍第17
師団・歩兵第33旅団司令部庁舎。岡山市北区津島中。岡山大学津島キャンパス内。陸軍第17師団司令部庁舎として明治40年建設されたが、第17師団が大正14年に廃止されると、歩兵第33旅団司令部庁舎として使用された。平成14年まで岡山大学事務局として使用されていたが、事務局の建て替えにともない、建物の一部が元の敷地近くに移築された。現在は研究推進産学官連携機構として使用されている。
道路を道なりに真っ直ぐ北のキャンパスに入ったが、見つからないので、守衛所で尋ねると、南西の本部キャンパスにあると教えられた。
 
イメージ 16
旧陸軍第17
師団司令部衛兵所。国登録。同じ敷地内の道路沿いに建っている。岡山大学情報展示室の看板はあったが、内部に入館することはできなかった。
北東の備前国総社宮方面へ向かう。
 
イメージ 17
備前国総社宮。岡山市北区祇園。備前国内128
社の祭神などを祀る。平安時代の創建と推定されている。平成4年に随身門以外の本殿・幣殿・拝殿などが焼失した。
その随身門も修理中だったので、境内には入らなかった。周辺は狭い道の住宅街で駐車に困った。
総社宮の800mほど南にある備前国庁跡へ向かう。
 
イメージ 18
備前国庁跡。岡山市中区国府市場。旭川の東岸にあり、総社宮あたりから丘陵となる手前の平地にある。国長宮という小社があり、その周辺から古代・中世の建物跡や土器が出土していることからこの地区が備前国庁跡と推定されている。また、国長宮の参道前を東西に貫く里道は古代山陽道を踏襲しているという。一帯が古代中世の備前の中心地であったことは間違いない。
南側の道路は狭く駐車できない。北から回り込んで空地に駐車した。
17時40分を過ぎたので、本日の見学を終え、玉野市の道の駅「みやま公園」へ向かった。翌日は宇野港から直島・豊島を見学した。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles