旧足守藩侍屋敷遺構。岡山市北区。平成
26年5月18日(日)。本日は、玉野市の常山城跡、岡山市のおまちアクアガーデン、備中高松城跡、最上稲荷を見学し、足守川沿いに北西に遡って、旧足守藩の城下町足守へ向かった。足守藩は、豊臣秀吉室・北政所の兄で姫路城主2万5千石の木下家定が、慶長6(1601)年に当地に同じ2万5千石で転封されて立藩、足守に陣屋を構えた。慶長13年に家定が死ぬと幕府は遺領を子の勝俊と利房に分与するよう指示したが、勝俊がこれを独占したことから幕命違背を理由に慶長14年に改易された。その後、浅野長政の二男長晟が入部したが、元和元(1615)年に木下利房が大坂の陣での功により、再び2万5千石で足守に入部。以後明治維新まで木下家が領した。
足守には城下町の風景が今もなお色濃く残され、歴史的、文化的資料も多いため岡山県の町並み保存地区に指定されている。
足守プラザに駐車し、町並みを散策する。案内図などが少なく、足守川沿いを無駄に歩いてしまった。
旧足守藩侍屋敷遺構は家老杉原氏の旧宅で江戸時代中期に造られた長屋門・母屋などが残っている。
白壁となまこ壁の長屋門、御成門、取り囲む塀が侍屋敷の重厚さを醸しだしているが、母屋は茅葺の質素な造りである。
歴史資料館足守文庫を見学するつもりだったので、外観を見ただけで、中には入らなかった。
足守川沿いに回り込んで、歴史資料館足守文庫を発見。しかし、開館していなかった。仕方がないので、近水園へ向かった。
近水園(おみずえん)。足守町並み保存地区の北端にある県指定名勝、。俗に御殿山と呼ばれる背後の宮地山の麓に築かれたこの木下家の庭園は、足守川の水を引き入れた池泉を中心に回遊式をとる小堀遠州流の庭園である。園内では熟年男女の団体が風景を写生していた。
近水園。
園内の池泉に浮かぶのは、藩主の長寿と繁栄を象徴する鶴島と亀島。鶴島には木下家十四代当主利玄の歌碑が建てられている。池畔に建つ吟風閣は、六代木下㒶定(きんさだ)が、京都の仙洞御所と中宮御所の普請を仰せつかった折、その残材を持ち帰って建てたもの。木下利玄生家。木下利玄は武者小路実篤や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」を発刊し、利玄調といわれる歌風を完成させ、明治大正の文学史に大きな足跡を残した。明治
19年足守藩最後の藩主木下利恭の弟利永の二男として生まれた。5歳の時、利恭の死去により宗家木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぐために上京した。母屋は4月から11月までは第1・3日曜日のみ開門されるが、内部立入はできない。
木下利玄の生家。長屋門。重厚な感じ。意匠は変わっている。
4月から11月までは金・土・日・祝日のみ開門。旧足守藩陣屋跡。
5代藩主木下利貞の時代の寛文2(1662)年から延宝7(1679)年の間に築かれたといわれる。陣屋跡は足守小学校の北隣にあり、陣屋の建物は現存していないが、陣屋を取り囲んでいた堀と石垣が残っている。足守の町並み。白壁や海鼠壁の商家が並んでいる。
緒方洪庵誕生地は少々離れているので、割愛した。この時点で14時であった。行程上、倉敷市児島の旧野崎家住宅へ16時までに着く必要があった。また、吉備中山にある岡山県古代吉備文化財センターも月曜日が休館ではないかと疑ったので、先にここへ行くことにした。
岡山県古代吉備文化財センター。事前に調べていた通り、年末年始以外無休であった。珍しい。しかも入場無料。展示室は広くはないが、簡にして要を得た展示内容。吉備津神社付近の道は狭い。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。特殊器台と特殊壺。壺と器台。特殊器台と特殊壺は新見市西江遺跡出土。弥生時代後期末頃。特殊器台は大きく発達した脚部、口縁部と装飾が多く描かれているのが特徴。特殊器台が円筒埴輪のルーツである。
壺と器台は倉敷市上東遺跡出土。弥生時代後期中頃。器台の上に壺をのせて安定させている。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。特殊器台。特殊器台には透し孔が開けられており、合わせて平行する弧状の線を組み合わせた帯からなる弧帯文という文様が描かれている。弧帯文のモチーフは翌日見学した楯築遺跡の神石などと共通している。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。弧帯文を描いた土器。倉敷市上東遺跡。弥生時代後期。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。素焼きの陶棺。赤磐市弥上古墳出土。古墳時代。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。顔が描かれた分銅形土製品。岡山市北区加茂政所遺跡出土。弥生時代。
岡山県古代吉備文化財センター。展示。卜骨。岡山市足守川加茂B遺跡。弥生時代後期。
15分ほど見学し、14時45分頃だったので、短時間で見学できそうな吉備津彦神社に向かったが、道路が錯綜して狭い箇所もあり、意外と時間がかかった。
吉備津彦神社。備前国一宮。現在の本殿は元禄
10(1697)年に岡山藩主池田家の援助で建てられた。三間社流造、檜皮葺き。広大な駐車場から社殿に向かうと、随身門あたりでボランティアの地元女性が案内をしていた。安産を願うのか女性の参拝客が多かった。なお、備中国一宮の吉備津神社へは翌朝参拝した。
駐車場を出たのは15時10分、児島の旧野崎家住宅へ急行し、15時55分頃に到着できた。