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豪渓。天柱山。国名勝。岡山県総社市・吉備中央町。豪渓寺南側の駐車場から。平成
26年5月20日(火)。吉備中央町の道の駅「かよう」から鬼ノ城へ向かう途中で豪渓へ立ち寄った。豪渓総社市と吉備中央町にまたがる槇谷川の上流にあり、中天にそびえ立つ330mの天柱山・剣峰など数知れない奇岩絶壁のいかつい岩石美と、清流と桜・新緑・紅葉の調和した渓谷が壮大な自然美をくりひろげている。渓谷内を走る県道は道幅が狭い。通勤時間なので時々車に出会うので、余裕を持って走行できず、それらしい地帯に入っても豪渓の案内はなかったが、総社市域を進むと、豪渓寺南側の駐車場に出会った。
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豪渓。見返橋から。渓谷の全長はわずか
600メートルと小規模だが、その間に花崗岩の節理に沿って風化、浸食された奇岩、奇峰が連続する奇勝となっている。豪渓寺の境内に立ち入ったが、無住のようだった。天柱山方面への遊歩道は通行止めになっていたので、車で少し戻って見返橋から奇岩群を眺めた。
鬼ノ城へ向かう。
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鬼ノ城。国史跡。総社市。鬼ノ城のジオラマ模型。鬼城山ビジターセンター。
日本100名城でもある鬼ノ城は、7世紀後半に築城されたと考えられ、標高400~600mの吉備高原の南縁に築かれている。眼下には古代吉備の中枢地たる総社平野と足守川中流域平野を望み、快晴時には瀬戸内から遠く四国の山並みが望見される遠望絶景の地に立地しており、攻めるに難しく、守るに易い地に、堅牢で緻密な城づくりをした難攻不落の古代山城である。
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻だが頂部は平坦である。この山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っている。
左端に西門、下部中央に南門、下部右側に東門、上部中央に北門がある。
8時50分頃に鬼城山ビジターセンターの駐車場へ着いた。9時開館、私が最初の入館者。月曜日が休館日なので。昨日は麓の備中国府跡から城壁を眺めるに留めておいた。本日は午後から雨の予報で、湿気の多い気象条件であった。ビジターセンターには無料の名水ドリッパーがある。
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鬼ノ城。鬼ノ城のジオラマ模型。
城壁で囲まれた城内は比較的平坦で約30ヘクタールという広大なもので、4つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられており、また、出入り口となる城門が4ヶ所にある。城内には、食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡やのろし場、溜井(水汲み場)もある。
下が西側、右が南の総社平野方向。下部のビジターセンターから舗装された遊歩道を600m登ると、城壁の手前側西端部にある西門に至る。
ビジターセンターで入手した地図付きリーフを見ながら、9時30分頃、城内散歩へ出発した。
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鬼ノ城。西門。角楼跡。遊歩道の途中から。角楼跡の上部が鬼ノ城山の山頂で標高
397m。その直下に展望所がある。Image may be NSFW.
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鬼ノ城。推定復元された西門。正面3間(
12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口する。12本柱で構成される堀立柱城門で、開口部の床面は大きな石を敷いており、その両側に6本の角柱が立つ。門扉のつく柱は、一辺最大60cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせている。門礎には方立・軸摺穴・蹴放しが刻まれている。両側の門礎とも原位置を保っていることから、開口部は間口約4mで、うち3mが出入口となる。Image may be NSFW.
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西門。扉は内開きである。扉を開け、4段の石段を上がると城内となるが、ほぼ3mか間隔で4本の柱が立っている。この柱は、城内の目隠しと敵兵を分散させる板塀の柱と思われ、大野城(福岡県)大宰府口城門でも見つかっている。
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角楼跡。ここは、南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で、正面側約
13m、奥行側約4mが前方へ突出した長方形の張り出し部が、城壁に付設されている。張り出し部の下部は、推定高さ約3mの石垣とし、その上部は土積みであったようで、張り出し部の本来の高さは約5m以上と推定される。石垣の間にはほぼ4m間隔で、一辺約50cmの角柱が立つ。また、城内側には角楼への昇降のための石段もつけられている。
張り出し部をもつこの遺構=角楼は,背面からの攻撃に備えるとともに西門防備をも意図した重要な防御施設と考えられる。なお、角楼の存在、石垣の間に立つ柱、敷石が巡っていることは、日本の古代山城では初の発見例である。
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角楼跡からの眺望。総社平野。左の高い山が福山城跡。その右下に続く小高い山が宮山墳墓群のある三輪山。
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角楼跡上の山頂展望台にある眺望案内図。南東方向。
小豆島や四国方面は快晴であれば見られる。
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角楼跡上の山頂展望台にある眺望案内図。南西方向。
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西門。城壁の外・内側には平たい敷石が
1.5m幅で敷かれている。板状の石を敷き詰めて通路状としたもので、城壁に沿って内側と外側の両方にある。通路というよりも、城壁が流水によって壊されることを防ぐための施設であるらしく、日本の古代山城では鬼ノ城にしかみられない。西門の上に登ることはできないので、東方向へ下りていく。
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西門東下。南東方向への眺望。
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西門付近。城壁は、一段一列に並べ置いた列石の上に、土を少しづつ入れてつき固めた版築土塁で、平均幅約7m、推定高は約6mもある。
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西門東下。要所には堅固な高い石垣を築いており、その威圧感は天然要害の地であることとあわせ、圧倒的な迫力をもっている。
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第2水門。
版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m~数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴がある。谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられている。下半部が石垣、上部が土塁の構造で、城内の水を管理するための排水口として機能した。
水門は、外面の下部を石垣積み、上部は版築工法による土積みで、背面は石垣積みである。通水溝は石垣最上部につくられており、これは他の古代山城にみられない鬼ノ城の水門の特徴である
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南門跡。西門と同構造・同規模の
12本柱からなる堀立柱城門である。開口部の大きさも西門とほぼ同じだが、門扉の柱は一辺最大58cmでわずかに小さい。城内へは高低差があるため、7段の石段がつけられている。この門の正面は急斜面となっており、どの位置から出入したのかはっきりしない。Image may be NSFW.
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東門跡を西の高石垣から望む。
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高石垣から足守川方向を眺める。吉備の中山、児島湾、楯築弥生墳丘墓、造山古墳を見下ろす。
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東門跡。開口部の床面を石敷きにしているのは、ほかの城門と同じだが、柱の数や種類は異なり、正面1間(
3.3m),奥行2間(5.6m)の6本柱からなる掘立柱城門である。柱の大きさは最大径58㎝の丸柱の多用が目立つ鬼ノ城では異質ともいえる。Image may be NSFW.
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屏風折れの石垣。上空から見るとY字型に突出して張り出しており、鬼ノ城の石垣の中で最も著名な高石垣である。血吸川の尾根上に張り出した急崖上に舌状に構築されている。建物は存在しなかったと考えられている。
屏風折れの石垣には10時30分頃に着いた。
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屏風折れの石垣から東門方面の尾根を眺める。
石垣周辺は人気があり、先客数人がいた。仕事を休んできたという地元の中年夫婦と15分ほど話をした。ここで食事をする人も多い。
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屏風折れの石垣の上にある記念碑。戦前から著名な観光地であったようだ。
北門へは周遊せず、中央部の礎石建物群へ向かう。
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池と湿地帯。まむし注意の看板。中央部は窪地が多く、水が溜まりやすいようだ。籠城には適している。
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礎石建物群。城内の中央部で、7棟が確認されている。礎石をもつ総柱の建物で、食品貯蔵庫などであったと推定される。
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礎石建物群。管理棟跡。倉庫群の北西に管理棟が設置されていた。
北門へは行かず、西へ進むと、山頂北側を回り込んで、角楼横に出た。
11時15分頃に駐車場へ戻った。他の古代山城と比べて、残存石垣の壮大さや眼下を見下ろす景観の良さが優れていた。
ヤマケイの登山ガイドに載っている「鬼の差上げ岩」が北西近くにあるので、車で向かった。
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鬼の差上げ岩。ビジターセンターから狭い車道を北へ進むと、山の中に民家が多数あることに驚いた。道標に従い、
5分余りで駐車場へ到着。右側へ山道を登るが、正しい道なのか不明。右下には大きな民家がある。左へ山道を登ると、岩屋寺に着いた。その石段をさらに登ると、右側に鬼の差上げ岩があった。辺りは鬱蒼とした緑に包まれ、鬼がでそうな雰囲気だった。歩き疲れたこともあって、そのまま往路を引返すと12時になっていた。
本日はその後、倉敷、浅口市金光町、笠岡市を見学し、道の駅「笠岡」で泊まった。