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倉敷市 阿智神社・古代庭園 浅口市 金光教本部 笠岡市 笠岡市立カブトガニ博物館

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阿智神社本殿南の鶴石組。倉敷市鶴形山。平成
26520日(火)。総社市北部の鬼ノ城を見学後、倉敷に向かった。美観地区には35年前から複数回訪れている。倉敷民芸館で外村吉之介が織機で織っている姿は印象的だった。
今回は美観地区北東部鶴形山の阿智神社の磐境、磐座のみを見学することにしていた。山上にある阿智神社へは自動車で登ることができるとネットで調べていたが、山の周辺は歩行者専用道や一方通行が多く、車用登り口が発見できなかったので、アイビースクエア北の駐車場に駐車した。
駐車料金が高いので、1311分入庫、1337分出庫、料金150円で済ませた。南側の参道石段を昇っていった。石段手前に自動車道が右折して登っていたが、表道からは分かりづらい。
 
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阿智神社には磐境、磐座のほか蓬莱思想にもとづく鶴亀の石組、陰陽思想的な磐座が遺され、日本庭園における石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。
かつて岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる海域で、当時は窪屋郡阿智郷であった現在の倉敷市鶴形山周辺は交通の要衝であったといわれ、そのため海上交通の守護神である宗像三女神を祀ったと考えられている。
 
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阿智神社本殿西の亀石組。本殿西脇には戌亥(北北西)の方向へ一線に連なる磐境(鶴亀の石組ー古代庭園)が営まれた。
応神天皇の時代に東漢氏の祖先とされる、阿知使主(あちのおみ)が漢人を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地方に定住したらしい。この神社が阿知使主族の奉斎するものであることは和名抄に阿智の明神と記されていることからも推定できる。
このあたりは備中府志等によると阿知潟、社記には吉備の穴海と称される浅海で、その中の小島に漁民が社殿を奉祀したとある。
 彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにするため、日本に古来から伝わる磐座や磐境を設け、更に彼ら民族の先進的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものといわれている。
 
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社殿東側の磐座。天照皇太神。
応神朝に朝鮮半島より渡ってきた漢の霊帝の曾孫、阿知使主(あちのおみ)一族。彼等は「製鉄」「機織」「土木」等の先進文化を担う技術集団として、吉備国の繁栄の礎を築き、当時、島(内亀島)であったこの鶴形山に神々の天降られる斎庭として、日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造ったと伝えられている。
 
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阿智神社から眺める倉敷美観地区。南西方向。
その後。倉敷市内の業務スーパーで食品購入。県西部・北部には安売りスーパーはないと予想。総社見学を終えたので、一段落した心象。雨が降りはじめ、浅口市金光町の金光教本部地区へ向かった。
 
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金光教本部広前会堂。浅口市金光町。金光教は安政
61859)年、備中国浅口郡大谷村にて赤沢文治(後の金光大神)が開いた創唱宗教である。同じ江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。
金光教では、信者は本部および各教会の広前に設けられた結界の場において、生神金光大神の代理となる取次者を通じて、各人それぞれの願い・詫び・断り・お礼を天地金乃神に伝えることにより、その願い・祈りを神に届け、また神からの助かりを受ける。これを「取次」という。
広前会堂は、金光教の神をまつり、取次を行う中心的な建物で、正面に天地書附を奉掲して「天地金乃神 生神金光大神」を祀った神前がある。
 
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金光教本部案内図。国道
2号線から一つ東の信号で北進し、JRの駅まで行って迷った。ナビでは探せず。道を戻り、周辺をさまよった末、金光教図書館の駐車場に駐車して、施設見学。
 
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立教聖場と修徳殿。右の修徳殿は信奉者の研修のための施設。左の立教聖場は、金光教の教祖である金光大神の自宅(
1850年建築)を1933(昭和8)年に復元した建物。金光大神は、安政61859)年から逝去するまでの24年間、この家をほとんど離れず、取次に専念した。現在の本部広前会堂の原点となる建物とされる。
文久31863)年「表口の戸をとり、戸閉てずにいたせ」との神命に従い、入口の戸はない。これにより、神をまつり、金光大神が取次を行う広前が世間に常時開放されることとなった。この伝統に従い、現在も本部広前会堂の表口は、常時開放されている。
このあと、笠岡市立カブトガニ博物館へ向かった。国道2号は工事個所があり、渋滞。165分頃、駐車場に到着。冠水した園路を5分ほど歩いて入館。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。翌日、笠岡諸島行き旅客船から眺めた外観はカブトガニの甲羅の形をしていた。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」での紹介映像がちょうど放送されたあとだった。
165分頃、駐車場に到着。冠水した園路を5分ほど歩いて入館。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。カブトガニ水槽。大型水槽には成体が飼われている。ほとんど動かない。館内はスロープ式に展示順路が進んでいく。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。恐竜の模型。カブトガニは古生代に発生し、恐竜が跋扈した中世代も生き抜いた。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。内部のつくりと血液。カブトガニは甲殻類ではなく、カニよりはクモやサソリに近い。
カブトガニの血液はアメーバに似た動きをする血球と、ヘモシアニンを含んだ血漿からできている。ヘモシアニンには銅を含んでいるので血液が空気に触れると青くなる。
また、血液は体外に取り出すと、短時間に寒天のような塊になる。この凝固の仕組みを調べていくうちに、血液内のたんぱく質が人類にとって有用なことが分かってきた。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。カブトガニの血液は医療に応用されている。カブトガニ類の血液から得られる抽出成分は、菌類のβ
-D-グルカンや細菌の内毒素と反応して凝固することから、これらの検出に用いられる。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。血液中の凝固因子、凝集素、抗菌物質の働き。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。アメリカカブトガニの墓。日本以外では東アジア、北アメリカに同科の動物を見ることができ特に北アメリカ東海岸の一部ではアメリカカブトガニを無数に見ることができる。
蚊を駆除するための薬剤が空から散布されて海水を汚染し、産卵に来たカブトガニを大量に殺してしまった。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。飼育展示室。動き回っている成体前の個体を観察できる。
 
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笠岡市立カブトガニ博物館。対岸は大干拓地で、水路は笠岡諸島行き旅客船の航路となっている。
17時閉館直前に退館し、雨の中、近くの道の駅「かさおか」へ向かった。翌日は笠岡諸島行き旅客船に乗船して、真鍋島へ向かった。

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