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岡山県矢掛町 矢掛宿 圀勝寺 下道氏墓 吉備真備公園 倉敷市真備町 まきび公園 箭田大塚古墳 吉備中央町 大嘗会主基田伝承地 鷺の巣温泉  

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宿場町矢掛。岡山県小田郡矢掛町
 平成26年5月22日(木)。笠岡市井笠鉄道記念館、北条早雲が生まれた高越城跡の見学を終え、山陽道の宿場町矢掛へ向かった。
矢掛町は山陽道18番目の宿場町として栄え、本陣と脇本陣がともに残され、両方が国の重要文化財であるのは全国でもここだけである。約750mに渡って江戸末期から明治時代にかけて建てられた町屋が並び、白壁・鬼瓦・虫籠窓・なまこ壁などが風情を残している。
やかげ郷土美術館の裏に駐車して見学。
 
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旧矢掛本陣石井家。重文。矢掛本陣は、大庄屋で酒造業を営む石井家が寛永
12年(1635年)に本陣職を命じられ、以降世襲で伝えた。天璋院篤姫はこの矢掛本陣に泊り、薩摩から徳川十三代将軍家定に嫁いだ。
現存する本陣の建物は江戸時代中期に建てられた裏門・西蔵・酒蔵などを除き、本陣施設としての御成門・玄関・御座敷をはじめ主屋の主要建物は江戸時代後期(天保年間~安政年間)にかけて再建されたものである。本陣の屋敷地は間口20間(約36m)、奥行50間(約90m)、面積1000坪(約3200㎡)で、十数棟の建物が建っており、それらはほとんど改変されていない。
 
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御成門と玄関。御成門は天保 3(1832)年の再建。棟門で、扉は両開き。ケヤキの一枚板を張っている。大名や幕府役人等が出入りした門で、休泊した時には、門の脇に宿札を掛けた。
 
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座敷。
 
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衝立と障子の絵
 
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上段の間。御座敷の南西隅に一段高く設けられた8畳の部屋で、床と違い棚、付け書院が設けられている。
 
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上段の間。質素な造りに見えるが、使用された資材には当時の粋をこらしたものを用いており、凝った造りとなっている。
 
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欄間。葡萄の透かし彫り。上段の間の欄間には真桑瓜と蝶、葡萄と栗鼠をたくみに彫ったものが用いられている。モダンなデザインで洗練された意匠と評価が高い。桃山時代のものと伝えられている。
 
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。簡素。
 
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土間。石井家の母屋。土公神様(カマドの神様)。
 
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酒蔵。母屋の裏には家業であった酒造関係の施設が建ち並んでいる。酒蔵の中には巨大な酒の絞り器が設置されている。
 
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酒蔵内の展示。篤姫関連の資料も展示されている。
30分余り見学して、町並みを歩いたが、意外に見所や食べ物がないので車に戻り、吉備真備関連の史跡を求めて東進した。
 
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圀勝寺。矢掛町東三成。真言宗の寺院。天平勝宝 8(756)年、吉備真備の開創と伝えられ、享保151730)年、真備の父の名にちなんで現在の名称に改称された。また、下道氏墓から元禄121699)年に出土した「下道圀勝弟圀依母夫人之骨蔵器/和銅元年十一月二十七日在銘」の重文の銅壺を所蔵している。
狭い道路を北の山麓へ向かうと寺が見える。路駐したが、寺の西に駐車場があった。
 
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下道氏墓。国史跡。矢掛町東三成。 元禄12年に当地で石櫃から銅製骨蔵器が発見された。骨蔵器は、身の口径12cm、高さ15.8cm、蓋の径24.7cm、高さ8.8cm。蓋の銘文から、下道朝臣圀勝(くにかつ)・圀依(くにより)が和銅元(708)年に母を火葬して納骨したことが判明した。下道朝臣圀勝は、吉備真備の父であり、被葬者は真備の祖母にあたり、骨蔵器が出土した墳墓は下道氏の墓であることが判明した。
下道氏は現在の矢掛町・真備町周辺の小田川流域地域の有力豪族で、奈良時代には朝廷の下級官僚をつとめた。
国道486号線北側の下道公園に駐車場がある。西入口に祠があり、坂道を登ると高台に史跡地がある。
 
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吉備公ゆかりの地。吉備公館址。矢掛町東三成。吉備真備公園の駐車場近くにある。
この地には屋敷跡とみられる土塁に囲まれた「だんのうち」と呼ばれる平地があり、このあたりから奈良時代の瓦片が出土している。地元では吉備公館址と称され、下道氏の館址と伝えられている。
真備町箭田にも吉備公館址がある。
 
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吉備真備公園。矢掛町東三成。吉備真備を顕彰する目的で、吉備公ゆかりの下道氏の館址と伝えられる地に整備した。中央は吉備真備公像、右の建物は館址亭。
 
 
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吉備真備公園。吉備大臣産湯の井戸。矢掛町東三成。井戸らしい雰囲気はない。真備町箭田にも吉備公産湯の井戸がある。
 
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まきび公園。倉敷市真備町箭田。吉備真備を顕彰し後世に伝えるため開園した。緑に囲まれた小さな谷の緩やかな傾斜地を利用して、中国風の公園が造られている。
 
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吉備寺。真言宗。飛鳥時代の創建といわれるが、開基は不明。吉備氏の菩提寺とされる。この地には飛鳥時代に箭田廃寺があり、鬼瓦や礎石が出土している。吉備寺は箭田廃寺の跡に建てられており、礎石は現在、庭石に利用されている。この寺院の南西に真備の祖父の墓と伝えられている場所があり、吉備様と呼ばれている。現在の本堂等は江戸時代の建造である。まきび公園の一角にある。
 
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吉備公墳。まきび公園の南端の丘上に八田神社があり、境内奥の墳墓を、江戸時代、岡田藩主伊東長貞が吉備真備公のものと確認するため発掘した記録が残る。領主伊東氏が撰文した墓碑銘がある。
 
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まきび公園一帯。八田神社から眺める。右下のまきび記念館も見学した。
公園の北東1㎞ほどにある吉備公館址へ向かう。
 
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吉備公館址。倉敷市真備町箭田。真備公が生まれた屋敷跡と伝わる。
石碑は明治33年の建立。傍らには、珍しいラテン語の顕彰碑が立つ。
 
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真備公産湯の井戸。小田川支流子洗川上流の湧水。吉備公館址のすぐ北にある。中国風に整備されている。江戸時代の学者古川古松軒は子洗川を真備ゆかりの川と推定した。
西500mにある箭田大塚古墳へ向かい、道路東の駐車場に駐車し、徒歩で西へ数分歩く。
 
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箭田大塚古墳。国史跡。倉敷市真備町箭田。高梁川との合流点に近い小田川の北岸に位置する。6世紀後半の築造とされる。張り出しを持つ円墳で、直径54
m、高さ7m。県下三大巨石古墳のひとつで、権力の強大さを示す刀剣・馬具・金環などが出土しており、被葬者は有力豪族と考えられ、下道氏との関連が推定される。
 
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箭田大塚古墳。石室。巨大な石を精密に組み合わせた横穴式石室、入口の羨道とその奥の玄室に分かれている。石室全長は
19.1m、うち玄室の長さ8.4m、幅3m、高さ3.8m。天井石は4枚の巨石で構成されている。石室内には3基の組み合わせ式石棺が置かれている。
岡山県南部の見学を終え、内陸部の行程に入る。
 
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大嘗会主基田伝承地。吉備中央町豊野。賀陽庁舎から県道を矢野川沿いに
2㎞ほど北上すると、案内標識がある。
 
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大嘗会主基田伝承地。主基田は、天皇が践祚大嘗祭のさいに献上する米を栽培した斎田のことで、西日本の各地から占いにより選定された。平成
2年の今上天皇の即位の礼にも、この水田から収穫した新米が庭積机代物として献上された。
 
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大嘗会主基田伝承地。水田は平安時代からの主基田といわれ、直径25
mの円形をしている。周囲の水田より数10㌢程高い位置にあり、矢野川からきれいな用水が直接給水されている。
 
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大嘗会主基田伝承地。地元ではこの水田を「ゆりわ田」とよんでいる。ご飯を竃から出して保管するお櫃(おひつ)の竹の輪を「ゆりわ」と称していたことからという。
1630分頃に道の駅「かよう」へ向かい出発したが、時間に余裕があるので、立ち寄り湯はないかと、賀陽庁舎に寄って職員に尋ねると、すぐ西に「鷺の巣温泉」が利用できるかも知れないという情報を得た。
 
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鷺の巣温泉。湯本屋旅館。吉備中央町賀陽。玄関に、
12時~17時、700円の案内があった。17時頃だったが、尋ねると、どうぞと言われた。湯船は小さいが、アルカリ性単純温泉は肌触りが柔らかく、下呂温泉並みに成分が濃い温泉で、満足した。宿の接客の雰囲気もよかった。
 
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鷺の巣温泉。湯本屋旅館。古くからの名湯らしく、頼山陽、山田方谷も入湯し、山田方谷が近在の田植えの様子を詠った漢詩が紹介されている。
近くにある道の駅「かよう」へ向かった。翌日は高梁市の備中松山城からの旅となる。

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