松か井の水。新松か井の水公園。平成の名水百選。兵庫県多可町加美区奥荒田。平成
26年5月30日(金)。市川町の笠形山登山と温泉入浴のあと、松か井の水へ向かった。上り坂を山の中へ入って行くと、新松か井の水公園はすぐ分かる。広い駐車場と多くの取水口が整備されている。自動車で横付けできて便利。松か井の水は室町時代末期、播磨の国を治めていた赤松義村が定めた「播磨十水」のひとつ。土砂により所在不明になっていたが、地元古老等の確認により約30年ぶりに復活した。また、高坂トンネル工事着手の折、工事現場から大量の湧水が出たため、県道8号加美宍粟線沿いに新松か井の水公園として整備された。
国道427号を北進し、杉原紙研究所へ向かう。
杉原紙発祥之碑。多可町加美区鳥羽。杉原紙研究所の玄関前に立つ。道の駅「かみ」から橋を渡った対岸にある。昭和15年
寿岳文章と新村出が杉原紙のルーツを求めて杉原谷を訪ね、この地が発祥の地であると明確にした。昭和41年「杉原紙発祥之碑」が杉原谷小学校内に立てられた。昭和47年町立杉原紙研究所が設立されて以降、本格的に再興された。
杉原紙は夏目漱石の「吾輩は猫である」に出ていて、覚えている。「杉原(すぎはら)と書いて、‘すい原’と読むのさ」「妙ですね」「なに妙な事があるものか。名目(みょうもく)読みと云って昔からある事さ」という一節である。
杉原紙は播磨国多可郡杉原谷で漉かれた和紙のことである。平安時代中期から室町時代まで杉原谷は藤原摂関家の荘園であり、ここで漉かれた紙は「椙原庄紙」とよばれ、贈答・献上品として貴族や幕府に珍重された。本格的に普及したのは鎌倉時代に入ってからで、奉書紙や檀紙よりも厚さが薄く、贈答品の包装や武家の公文書にも用いられた。ただし、書札礼によれば重要な文書では杉原紙は使わないものとされていた。だが、杉原谷は京都に近く、大量に製品が流入したことから、比較的低廉であったため、高級紙の代用品として用いられた。明治に入ると、洋紙の普及により、紙漉き業者が減少し、大正末期に一旦途絶した。
杉原紙研究所。工房見学と紙すき体験ができる施設。
隣接には杉原紙販売、工房「紙匠庵でんでん」、和紙博物館「寿岳文庫」がある。寿岳文庫では杉原紙にまつわる寿岳文章蔵書や展示のほか特別作品展も開催している。杉原紙研究所。内部では様々な工程が行われている。奥へ進むと、楮みだしという不純物やチリを除く工程や調整・染色の部屋があった。
国道427号線遠坂峠を経て和田山へ向かう。私の前に大型トラックが走り、カーブのたびにすれ違いで停止したため、神経と時間を減らした。
赤淵神社。朝来市和田山町枚田上山。鳥居から石段を登った丘の上に神社の境内がある。右の狭い道路を登った左側に駐車場がある。
赤淵神社は。但馬で勢力をもった日下部一族の氏神で、祖先神である赤淵足尼命を祀っている。越前朝倉氏が。但馬日下部氏の一族であることから、朝倉義景が氏神の当神社に宛てた手紙が残る。
赤淵神社。社殿。
祭神の赤渕足尼命は表米宿禰命の祖で、表米宿禰命は日下部氏の祖。表米宿禰命が外寇討伐のおり、沈没しかけた船を大海龍王がアワビの大群を用いて救ったという伝説が残る。赤淵神社。本殿覆屋。重文の本殿は、鎌倉時代末期から室町時代初めの建築で、県内最古級の神社建築である。覆屋のため、内部はよく見えない。
赤淵神社由来記。境内の石碑。「號日下部表米宿禰命 赤淵宿禰五世孫而忠功有奉聞 丹後丹波但州三箇國可為
守賜宣使本國也 然而惣名日下部姓始祖神表米御子在所分附給 朝倉 絲井 奈佐 日下 八木 本山 太田垣 宿南 姓是也 是皆在所名也 」などの文言があり、戦国時代の朝倉氏、八木氏、太田垣氏などの名が見られる。池田古墳。朝来市和田山町平野。但馬地域で最も大きな古墳で、但馬の王墓と推定される。全長が約
130mを超える前方後円墳で、5世紀初めの築造とされる。発掘調査により、周濠や造り出し・渡土堤・埴輪列などが確認された。出土した水鳥形埴輪から畿内中心部の大王墓と共通する要素がみられ、畿内との密接なつながりを感じさせる古墳である。
古墳の上の国道9号線にアーチ橋をかけて保存されていたが、騒音の苦情のため撤去されたという。後円部墳丘上には民家が建っており、立ち入りはできない。
なかなか見つけにくい古墳であった。
池田古墳。平野区青年部有志の案内看板。なかなか立派である。
5世紀に朝来市和田山町で池田古墳や茶スリ山古墳を作った地域には、大薮古墳群クラスの横穴式石室を持つ古墳はない。こうした事から、6世紀になって朝来市和田山町から養父市養父地域に但馬最大の政治権力の中心地が移ったとする説がある。
このあと。翌日の氷ノ山登山に備えるため、道の駅「ハチ北」へ向かった。道の駅に着いて、しばらく様子をうかがっても、登山基地という雰囲気はなかったので、思い切って登山口の福定親水公園へ向かい、17時30分過ぎに登山口の駐車場へ到着した。