名草神社。三重塔。重文。養父市八鹿町石原。平成26年6月1日(日)。
但馬妙見名草神社は、標高1139mの妙見山の8合目にある。主祭神は名草彦大神。妙見山は、山陰随一の妙見信仰の大本山として栄え、福島県の相馬妙見、熊本県の八代妙見と並んで、日本三妙見のひとつとされ、「妙見さん」と呼ばれ人々に尊崇された。
妙見信仰は、北極星(北辰)や北斗七星(北斗)を神仏として祀るもので、武家の守護神として、山名宗全など多くの武家の信仰を集めた。千葉周作の北辰一刀流も妙見信仰の表れである。
9日間で9山登った登山の旅も本日午前の扇ノ山で終わり、達成感と疲労感を混在させながら、村岡温泉から名草神社へ向かった。トンネルを抜けて神鍋高原、植村直己冒険館付近から南進、トンネルを抜けて、名草神社への道路を右折する手前で、名草神社への道路通行止めの看板を見た。集落を進み、端でようやく地元の女性歩行者に確認したら、冬季は通行止めで、それ以外は走行可能だが悪路だから注意して、といわれた。確かに、山を登る道路は落石が多かった。終点の駐車場付近には古い建物が点在し、清掃作業の家族数人が作業中で、おかしな雰囲気だった。参拝者はまばら。14時前に着いたが、下界の真夏のような暑さに、体が休息を求めていた。この辺りは標高が700mほどなので、確実に4度は低い。木陰を選んで車を停め、窓を開けて2時間近く車内で横になった。
16時前になり、少しは日も落ちてきただろうと、神社の見学に向かった。境内には今も樹齢250年から400年とされる妙見杉の巨木が繁る。三重塔まで5分ほどの妙見杉に囲まれた坂を上ると、鮮やかな丹塗りの塔のシルエットが徐々に大きく浮かび上がり、神秘的な光景に神々しさを感じた。
名草神社。三重塔。標高760mと日本一高いところにある三重塔である。杮葺で、高さは約24m。
三重塔は出雲大社の境内に出雲守護尼子経久が願主となって大永七年(1527)に建立したもので、神仏習合の名残りである。妙見社が出雲大社本殿の用材として妙見杉を提供した縁によって、出雲大社から三重塔を譲り受けた。寛文五年(1665)1月に解体が始められて、船で日本海を渡り、名草神社の境内に5月に上げられ、雪に備えた突貫工事により9月に竣工した。
名草神社。三重塔。三層目の軒下には四隅に「見ざる、聞かざる、言わざる、思わざる」を表した四匹の猿の彫刻が置かれている。
名草神社。三重塔。一層目の力士の彫刻。
名草神社。三重塔。一層目の力士の彫刻。
名草神社。三重塔。蟇股の彫刻。梵字、蓮、牡丹、琵琶、雲の透かし彫り。
拝殿。重文。元禄二年(1690)建築
。入母屋造、屋根杮葺。本殿の前に庭を隔てて相対し、正面は石垣からせり出すように崖の縁に建てられている。正面が5間で側面が2間あり、中央1間を通路とした割拝殿の形式。厳島神社を模したという。最近の雪害により、本殿とともに応急保存の木材で養生されている。
本殿。重文。宝暦4年(1754)建立。桁行9間(17.6m)、
梁間5間(9.0m)、一重、入母屋造、千鳥破風付。向拝3間(6.5m)、唐破風付、屋根杮葺。平面は桁行7間、梁間2間を内陣とし、その前面を外陣とする。正面の向拝廻りは意匠を凝らして華やかな彫刻が用いられ、躍動感のある構成となっている。正面には千鳥破風があり、その前には唐破風をつけた豪華な造りで、正面から見た姿は日光東照宮を模したという。出石の大工と地元の大工が棟梁を務めた。
16時30分すぎ、本日の泊地である養父市八鹿の道の駅「但馬蔵」へ向かった。