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車中泊旅行24日間 広島県庄原 帝釈峡 帝釈寄倉岩陰遺跡 帝釈峡馬渡遺跡 東城の町屋

広島県を平成25年10月15日から11月7日まで24日間で車中泊旅行し、登山・歴史散歩・温泉・グルメなどを楽しんだ。自宅・名古屋からの往復走行距離は3132km、184.4ℓ、28280円。NBOX+の燃費は1リットル当り16.98km、1km当り9.0円。

旅行費用は旅行中が52,000円。朝夕食は車内でカセットコンロを使い、レトルトやラーメンが基本。1食当り、ラーメンが35円、レトルトのカレー・ライスが120円、昼食は袋菓子150円弱を特売品で用意しておいたので、10000円ほどが事前調達費用となり、総額約6万2千円。
グルメ的な食事は夕食として広島焼、つけ麺、尾道ラーメン、三次のワニ料理などを食べた。水は名水などを現地調達するので、購入しない。

宿泊費用は道の駅での車中泊なのでゼロ。ただし、大崎下島御手洗の歴史のみえる公園で1泊した。

離島はほとんど橋でつながっているので、大崎上島、大久野島のみ船便を利用、島内を徒歩で移動。

登山は、ヤマケイのアルペンガイド98年版と分県登山ガイドから選択し、比婆山、阿佐山、恐羅漢山、吉和冠山、三倉岳、大峯山、古鷹山、鷹ノ巣山を登った。他に、短距離で臥龍山。また、呉娑々宇山と黒滝山の一部にも上った。瀬戸内海が望める山が多く、眺望は良かった。吉和冠山のローソク岩から冠山山頂とクルソン岩を眺めるアングル、三倉岳の北アルプス的鎖場が印象的だった。なお、三百名山の道後山と吾妻山は7年前に登頂している。

国内の車中泊長期旅行は従来5月頃実施しているが、今年は町内会の担当時期だったので行けず、日照時間の比較的長い10月としたが、それでも5時頃には暗くなることが多かった。昨年の山口は11月で紅葉の時期も良いと思ったが、今年は紅葉は諦めた。伊豆大島を襲った台風のあとに急に寒くなり、次の台風の悪天候が予報されたので、登山日程を調整するのに苦労した。

見学ポイントは山川出版社の「広島県の歴史」「広島県の歴史散歩」から選別した。宮島は弥山山頂を含め数回見学しているので、割愛した。福山・尾道・三原・竹原・呉・江田島など過去に見学した場所は除外したので、今回は内陸部が中心となり。備北・芸北山間部から始めて福山で終わる反時計回りの行程を計画した。
なお、安芸高田の歴民で見かけた「探訪・広島県の考古学」脇坂光彦・小都隆著は2013年7月刊で史跡見学に便利。但し、ゆっくり読む時間はなく、今回もマイナーな史跡のアクセスには苦労した。

平成25年10月15日(火)11時30分名古屋市守山区のスーパーを出発、名阪国道経由で大阪・神戸を経て20時30分兵庫県相生市の道の駅へ到着。9時間車から降りなかった。10月16日(水)相生を8時頃出発し、国道2号を福山から分かれて、神石高原町を経由して庄原市東城町の帝釈峡へ向かい、12時30分頃到着した。

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帝釈寄倉岩陰遺跡。国史跡。帝釈峡は紅葉前の平日で閑散としていた。最奥の駐車場へ着き、案内図で最初の目的地である寄倉岩陰遺跡の場所を探したが、よく分からない。資料館の「時悠館」へ向かう。駐車場に1台も車がないと思ったら、水曜日休みだった。寄倉岩陰遺跡の出土品を展示する現代的で立派な資料館に驚いたが、仕方がない。最奥の駐車場に戻り、帝釈峡への遊歩道を歩きだすと、何と寄倉岩陰遺跡への道標があった。左の脇道へ100mほど入り、民宿寄倉荘の店先を抜けると、そこが遺跡のある山の岩肌であった。

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帝釈寄倉岩陰遺跡。帝釈峡周辺では1961年以来広島大学により発掘調査が続けられ旧石器時代から縄文時代の遺跡が発見されている。この寄倉岩陰遺跡は縄文時代早期から晩期の土器が出土し、中国・四国地方における縄文土器編年の基準となっている。また、縄文時代後期・晩期の成人骨と幼児骨が46体分改葬区分した状態で出土し、成人骨には赤い顔料が塗られていた。
遺跡にはアーチ式の保存施設が設けられている。

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帝釈峡。鬼の唐門。名勝帝釈峡は帝釈川の流れが長い年月、石灰岩のカルスト台地を沈降浸食して形成した大峡谷である。白雲洞を過ぎると、左に鬼の唐門が現れる。門の高さは約8m。その上部には鬼の窓とよばれる穴が見え、複雑に浸食された様子がうかがえる。

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帝釈峡。雄橋。岩の天然橋。高さ40m、長さ90m、幅19m。川の流れの浸食により石灰岩洞の天井部分が崩れ落ちてできた。

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帝釈峡。雄橋。入口方向の基部には石の仏像が多く置かれ、賽の河原のようになっている。昔は村人が実際に橋の上を往来していたという。

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帝釈峡。断魚渓。帝釈峡では随一の急流箇所で、水は岩の間から落差をつけて勢いよく音を立てて流れ落ちている。入口からここまで30分余り。さらに、素麺滝を目指す。

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帝釈峡。素麺滝。素麺のように細い水がいく本も流れ落ちる滝。マスの養魚場から下草が茂る道を直進すると対岸に見えてくる。遊歩道はこの先の橋で途切れる。
養魚場近くの対岸に渡る橋の案内図が分かりにくく、橋を渡って神龍湖へ至る遊歩道を5分ほど登り、間違いに気づく。
駐車場へは15時頃に戻った。この間歩行していた人は私の他に4人。

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帝釈峡馬渡遺跡。県史跡。帝釈峡の北にあり、東城市街地へ戻る途中の岩屋口から北へ、鬼の岩屋方向へ進み、途中のカモイ橋から右へ馬渡川に沿って数百m進むと、道路左側にある。反対方向のアングルからだと、川の岸壁に沿って形成された遺跡と分かる。
当初、西の道路から探索し、地元の人に聞きながら何とか発見できた。帰途に南進したら岩屋口に出た。中国自動車道の北に位置する。

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帝釈峡馬渡遺跡。岩陰に沿った長さ約10m・幅3mの範囲で、厚さ約5mにおよぶ旧石器時代末期から縄文時代前期の土器が出現した。旧石器時代の地層からは刃器とオオツノジカの骨が出土した。

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帝釈峡馬渡遺跡から出土した土器。三次の県立歴史民俗資料館展示。複製。遺跡からは早い時期の土器である押型文土器が出土した。植物繊維を胎土に含んだ無文平底の鉢型土器も出土している。

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庄原市東城の町屋。三楽荘。国登録有形文化財。明治24年に建てられた商家で、のちに旅館となった。内部公開される日もある。
道の駅東城に着き、観光パンフ類を眺めたら、帝釈峡の案内図があり、先にここで入手すればよかった。また、町並みもあるというので、交流施設えびすに寄り、担当職員から案内パンフを貰った。街道沿いには古い町屋が残っている。横の竹屋饅頭本舗で饅頭を購入し食べた。
東城は戦国時代宮氏が居城とした五品嶽城の城下町として発展した城下町で、それにちなんだイベントで町おこしをしている。五品嶽城は宮氏が天文2(1533)年に西城の大富山城へ本拠を移したあとも、宮氏の領国支配の拠点となり、福島正則の入国後は家老長尾隼人が城主となり、近世初期の技術要素が加わった。本来は見学に値する山城であったが、郡山城と比べたので、見学対象とはしなかった。
備後の国衆宮氏には、幾つかの分流があり、戦国時代末期に本流が滅んだので記録に乏しい。備後吉備津神社の神官一族という説や小野流藤原氏という説があり、備後南部の福山市新市の亀寿山城に拠った宮氏が惣領家のようだ。備北庄原方面の東城・西条に寄った宮氏はその分流とみられる。

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谷繁元信球歴館。中日ドラゴンズの監督に就任した谷繁の生家が東城の町並みにある。父親はテレビインタビューの電話に出ていたが、この町だとは知らなかった。この日は休館日だった。
このあと、道の駅東城に帰り、車中泊。

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