有馬温泉。金の湯。神戸市北区。平成26年6月4日(水)。宝塚市の清荒神清澄寺から有馬温泉へ向かった。山登りの山間道路で、慣れない車が先頭を走っていたので時間がかかった。車の場合は駐車料金が大事だ。旅行前にネットで調べたら、芦有ゲート前から南へ200mほど南の
タイムズ駐車場が平日1時間100円と安いので、そこを目標としたら、運よく簡単に見つかった。問題なのは、到着した15時頃から強い雨が降り出したことだ。さらに、金泉などの方角がさっぱり分からないこと。橋を渡って、従業員住宅街に迷い込んだので、通行人に尋ねて、金泉の方向がようやく分かった。杖捨坂を下ると観光案内所があり、地図を入手できた。駐車場から案内所までは、迷わなければ10分ほどの距離だった。案内所から金の湯までは5分ほど。観光客は多いし、中国系も多い。受付で「金の湯」「銀の湯」「太閤の湯殿館」の共通入館券1000円を購入。階段を上がり、金泉に入浴。中は意外と狭い。中国系などの外人は見かけなかった。温泉は鉄分があるので、赤銅色。さすがに湯質は良い。しかし。九州・東北・北海道などには、ここより鉄分の多い温泉はざらにあると思ったが、今回の旅行で入浴した10余りの温泉の中では最高の湯質であった。
時間もないので、早々に出て、太閤の湯殿館へ向かった。坂を登って温泉寺の境内を通ると、建物があった。
有馬温泉。太閤の湯殿館。岩風呂遺構。説明写真。
神戸淡路大震災で壊れた極楽寺の庫裡下から、400年前に太閤秀吉が造らせた湯山御殿の一部とみられる湯ぶねや庭園の遺構、瓦や茶器などがが発見された。太閤の湯殿館は湯山御殿が発見された地に建てられ、秀吉がはいったとされる岩風呂遺構を出土した状態で展示するなど、発掘した資料を併せ展示している。
庭園は1mの土で埋め戻されている、その上に当時のままの状態が復元されている。
なお、秀吉の湯山御殿は徳川幕府によって取り壊され、その跡地に極楽寺と念仏寺が建てられた。
有馬温泉。太閤の湯殿館。岩風呂遺構。
天正11年(1583)豊臣秀吉は有馬を訪れた。これが記録に残る秀吉入湯の最初で、合せて9回ほど有馬温泉を訪ねており、有馬に対してさまざまな援助を行っている。
秀吉の事蹟の特筆は、慶長2年(1597)に始まった大規模な改修工事である。この直接のきっかけは、前年に近畿一円を襲った慶長伏見地震で、地震の直後から温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまい。湯治効果の大なることを熟知していた太閤は、英断をふるい有馬温泉の根本的な改修工事に着手する。
有馬温泉。太閤の湯殿館。岩風呂遺構。温泉が岩の間を伝って流れた跡。
秀吉は地震後に新たに湧出した温泉に湯山御殿を造り、工事が完成した慶長3年の5月に入湯の予定であったが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の8月18日に没したため、秀吉はついにその成果をみることができなかった。
有馬温泉。太閤の湯殿館。蒸し風呂遺構。蒸し風呂遺構を出土した状態で展示している。
湯殿館の受付を入った中には猫が数匹いるだけで、見学者はいなかった。湯殿館を出た道路から極楽寺には源泉があるのだが、修理工事中で立入り禁止であった。銀の湯へ向かう。
有馬温泉。銀の湯。炭酸泉、ラジウム泉ということだが、湯質は薄く感じた。入浴客も少ない。
有馬温泉。
炭酸泉源公園。銀の湯から道なりに坂を登ると公園がある。有馬温泉。
炭酸泉源。ここでは飲めない。有馬温泉。
炭酸泉源。飲泉場。公園の片隅にある。これは本物。間違いなく胃腸に良い。タイムズ駐車場へ戻る。ほぼ2時間であった。200円で済んだ。
北区淡河町の北僧尾農村歌舞伎舞台へ向かう。
北僧尾農村歌舞伎舞台。北区淡河町。現存する農村歌舞伎舞台の中で日本最古とされており、建築年を示す墨書が鏡柱の上部にあり、江戸時代中期の安永6年(1777)の建築であることが分かっている。
農村歌舞伎は江戸時代に、農閑期に行われていた。当初は田んぼなどに仮設の小屋をかけ上演されていたが、後に神社境内の長床などが舞台として使用されるようになった。「北僧尾農村歌舞伎舞台」も本来は、北僧尾厳島神社の神事で用いる長床として建てられたもので、社殿と向かい合って建つ舞台にはバッタリと呼ぶ床面拡張機構と太夫座という舞台機構がある。
北僧尾農村歌舞伎舞台。神戸市北区は農村歌舞伎舞台の宝庫ともいわれ、丹生山を中心に多くの舞台が残っている。
1970年の兵庫県指定重要有形民俗文化財指定後も3度にわたり改修を施してきたが、建物全体がゆがんで、かなりの部分の修復が必要になったため、26年2月から10月までの予定で、全面改修工事を行っており、秋にも再度一般公開されることになっている。この舞台での農村歌舞伎上演は昭和30年ごろまでは演じられていたものの、昭和57年に屋根の吹き替え修復工事の完成を祝って播州歌舞伎でこけら落としをしたのが唯一の上演になっていた。2012年、30年ぶりに地元中学生による歌舞伎が上演されたようで、今年秋の工事完了時にも予定されているようだ。
旅行前半に北区山田町の下谷上農村歌舞伎舞台(重文)を見学していたが、時間的都合で後半に回していたが、実際に見学ができて良かった。工事中は内部構造が垣間見れて、興趣深いものがある。
猪名川町の多田銀銅山見学から始まった長い日は雨の中で終わった。
17時30分になり、本日の泊地である三木市の道の駅「三木」へ向かう。無料WIFIが利用できて、便利な道の駅であった。