五色塚古墳。神戸市垂水区。国史跡。北側駐車場から。平成26年6月5日(木)。
五色塚古墳は全長194mの兵庫県下最大の前方後円墳で、4世紀後半に明石海峡を一望できる地に築造された明石地域を治めていた豪族の墓と考えられている。
この古墳は神戸市が、国の史跡整備の第1号として補助金を得て、昭和40年から10年の歳月をかけて発掘調査と復元整備を行い、全国で初めて築造当時の姿に復元した大王墓クラスの巨大古墳として知られる。
墳丘の大きさは、全長194m、前方部の幅82.4m、高さ13m、後円部の直径125.5m、高さ18.8mで、周囲に周濠を巡らしている。
明石城跡から国道2号線を東進、手前で北の住宅街へ回り込んで、南進したので簡単に駐車場へ9時頃に着くことができた。古墳見学ではない車が数台停まっている駐車場は広く、帰りには小学校の遠足バスが2台来て、余裕で児童を降ろしていた。古墳入口までは約5分。JR山陽本線から何度も見ているが、来たのは初めてである。
五色塚古墳。古墳の周囲には幅約10mの濠を廻らしてるが、水は湛えられていなったという。3段に築かれた墳丘のうち、下段は、地山を前方後円形に掘り残し、中段および上段は盛土を行っている。下段の斜面には小さな石を葺き、中段および上段の斜面には大きな石を葺いている。築造当時の3段の斜面に使用した石の総数は、223万個・総重量2784tと推定されている。
西側に受付兼ミニ展示室の管理事務所がある。入場は無料で、名前を受付で記入するだけ。
小壺古墳。国史跡。五色塚古墳の北隣にある高さ9m、直径60mの円墳。
五色塚古墳とほぼ同時期に築造されたが、築造当時から斜面には石は葺かれていなかったませんでした。周囲は濠で囲まれ、2段に築造されていた。この小壷古墳の西方500mのところには歌敷山東古墳、西古墳があり、ともに直径20~25mの円墳がかつて存在していた。
五色塚古墳。管理事務所の展示。想像復元図。
3段に築かれた墳丘のうち、下段は地山を前方後円形に掘り残し、中段及び上段は盛土を行っている。五色塚古墳。管理事務所の展示。想像復元図。海上から見た五色塚古墳。緑の平野と青い海を背景に石で葺かれた灰色の巨大な人工物がそびえている景観が想像できる。
五色塚古墳。管理事務所の展示。鰭付朝顔形埴輪。重文。出土した鰭付円筒埴輪・鰭付朝顔形埴輪・円筒埴輪のうち、全体の形が復元できた48点について、古墳時代前期に属する大型古墳に置かれていた円筒埴輪の実態を良く示し、当時の古墳祭祀を復元するうえで重要であり、その学術的価値が極めて高いものとして、重要文化財指定の答申を受けた。このような古墳の周囲に廻らされた円筒埴輪群が重要文化財として指定されることは全国でも初めてのことである。
埴輪の器高は93~147cmで、大型である。
五色塚古墳。
『日本書紀』神功摂政元年春二月の条に「播磨に詣りて山陵を赤石(明石)に興つ。仍りて船を編みて淡路嶋にわたして、其の嶋の石を運びて造る」という記事があり、これが、五色塚古墳に関する伝承と云われている。
中段及び上段の葺石は分析の結果、日本書紀の記述通り淡路島から運ばれたものであった。
五色塚古墳。埴輪のほとんどは鰭付円筒埴輪で、4~6本に一本の割合で
鰭付朝顔形埴輪が立てられおり、ほかに蓋形埴輪や盾形埴輪が少数、出土している。五色塚古墳。後円部。この五色塚古墳はパワースポットで、北側の後円部の中心に立つとさらに強いパワーをもらえるという。
南側のすぐ下を山陽電鉄の電車が走っている。
五色塚古墳。前方部。明石海峡大橋と淡路島が正面に見える。立地としては明石海峡とそこを行きかう船を見下ろすような場所にあり、海上交通の要衝を占めている。このことから海上交通と関わりの深い有力者の墓と考えられている。
五色塚古墳。明石海峡方面への眺望。
五色塚古墳。北側への眺望。駐車場が見える。
五色塚古墳。前方部と後円部が接するあたりの東側の濠の中に
1辺20m、高さ5mの方形のマウンドがある。葺石の上からは土師器、須恵器、埴輪などの破片が発見され、祭祀を行った場所であると考えられている。五色塚古墳。後円部の東側にも、外側から堀の中にむかって方形に突き出た部分が造られており、ここからは円筒棺が2個発見された。ほとんど地山を掘り残して造られており、斜面には石が葺かれていた。
五色塚古墳。前方後円墳をあしらった史跡モニュメント。
早朝は雲が多かったが、この辺りから晴れて、風も強かったため、遠望がきいていた。遠足児童で賑わう前の9時30分には見学が終わり、尼崎のJR脱線事故現場へ向かった。
尼崎の
JR福知山線脱線事故現場。エフュージョン尼崎。尼崎市。2005年4月25日午前9時18分、通勤、通学客らを乗せ、宝塚から京都府京田辺市へ向かっていた福知山線の快速電車(7両編成)が、兵庫県尼崎市のJR尼崎駅手前でカーブを曲がりきれずに脱線、運転士を含む107人が死亡、562人が負傷した。
電車が衝突した分譲マンション「エフュージョン尼崎」は、事故後にJR西日本が区分所有者らから買い取り、2006年にJR西日本が100%の所有権を取得した。現在、人は住んでおらず、1両目が突っ込んだ地下駐車場や、2両目が巻き付くようにぶつかった1、2階部分などが残っている。一方で風雨にさらされて外壁がはがれたり鉄筋がさびたりするなど、老朽化も進んでいる。
事故の記憶をどう保存するかは、まだ協議中のようだ。
11時過ぎに辿り着いたが、分かりづらい。線路のカーブ曲線が特に大きく曲がっているようには見えなかった。この時間帯だけ、突然雨が強く降ってきたので、線路反対側のマンション側に行く気にならなかった。
このポイントで今回の見学予定地を完了し、名阪国道経由で名古屋へ16時頃に帰り着いた。