ザナバザル美術館。ウランバートル。2014年7月5日(土)。
仏画。ツォンカパ。
19世紀作。ツォンカパ(1357~1419)は青海地方に生まれたチベット仏教最大の学僧であり、ゲルク派の開祖である。仏教思想に含まれるさまざまな見解を体系化して、他宗派の教えを包括することを可能にする思想を提唱した。彼の思想を奉じた弟子たちはゲルク派という宗派を形成し、包括的な教学を武器に他宗派の取り込みを積極的に図ったため、のちにチベット仏教界随一の勢威を誇った。
ゲルク派は転生相続制を取り入れ、歴代ダライラマなど多くの化身僧を生み出した。
仏画。タンカ。
20世紀作。ツァム
Tsam。ビデオ放映映像から。ビデオ料金は払っていなかったので、ビデオ撮影はできなかった。5分ほどの映像だった。古代インドに源流をもつといい、日本の伎楽との関連もありそうだ。ツァムはモンゴルに古くから伝わる仮面舞踊で、仏教の守護神を表現した種々の仮面をつけた僧侶たちが、音楽に合わせて踊りを披露する。通常は、仏教の神々が悪霊にどのように対処するのかを観衆に見せるために行われる。
各地の僧院で行われているが、年に数回、首都ウランバートルのガンダン寺で開催される舞踊が有名である。小規模な公演も含め随時開催されている。
仏教儀式の仮面舞踊ツァムは、18世紀以降、様々な宗派のモンゴルの僧院で発展するようになったが、1930年代から70年間は、思想検閲のためにほぼ忘れ去られていた。1990年からこの伝統は復興の道を歩み始めている。
ツァム舞踊はインドから仏教が伝来する以前のチベットに起源を持っており、その中で元々は守護神のような存在であった「白い老人」などの主だった登場人物が、ラマ教儀式で上演されていた奇跡劇の中に滑稽なキャラクターとして取り入れられた。ツァム舞踊は18世紀にモンゴルに伝えられた。
モンゴルでの上演は、通常は死の神ヤマ(エルリク・ハン)、その信者、仮面をつけた恐ろしい魔物が、円錐の塑像を中心に据えた複数の白い同心円から成る曼荼羅の周りを回る踊りが中心となっていた。
ツァム舞踊の仮面は種々の神々とその側近を表している。一回の上演に108種の神と獣の仮面が必要とされたため、その準備には相当の時間と手間を要した。ツァムの仮面は張子で造られ、珊瑚玉で装飾されている、踊り手は象牙の装飾を付け鰐皮の靴を履いている。
死の神が登場すると、人の形をした小さな塑像が人間の生け贄を象徴するものとして剣でめった切りにされる。ツァム儀式の踊り手はその衣装と芸術的な大型の仮面をもって、ラマ教信仰の対象である友好的な神々と恐ろしい神々だけでなく、骸骨、頑強な兵士、狩人、そして雄牛、牡鹿、大からす等の動物やヒンズー教信仰の対象である鳥類の王ガルーダにも扮する。ウルガ(ウランバートルの旧称)やモンゴルの他の僧院でのツァム舞踊の際には、仮面をつけた108人もの人々が大観衆の前で踊りを披露した。
ツァム。フーレー(ウランバートルの旧名)時代の様子。
1966年作。ツァムの衣装。
ツァムの衣装。
時輪タントラの立体曼荼羅。
Mandala of kalachakra。19世紀初頭作。Kalaは時間を意味し、Chakraは存在を意味し、「時輪」と漢訳される。最後の密教経典である時輪タントラに基づいた世界観を表現している。
神とその世界を象徴し、727の神々が表わされている。
現代の仏画。四頭の仲良しな動物。
Damdinsuren(1910~1984)1963年画。現代の仏画。
Damdinsuren(1910~1984)1963年画。馬頭琴。
19世紀作。ザナバザル美術館は仏教美術とツァムの展示が充実していた。ツァムの野外公演が前日夜にチョイジンラマ寺院博物館で開催されていたことを翌日知った。こういう情報はピアみたいなものがなく、ゲストハウスも関心がなく、観光案内所も教えてくれないので、観光客には不便な都市である。
このあと、東へ200mほどにあるモンゴル国立博物館へ向かった。