モンゴル国立博物館。ウランバートル。2014年7月5日(土)
穀物の植え付け。新石器時代。
BC7000~2000.パジリク文化。
BC6~2世紀。アルタイ山地はモンゴル、ロシア、中国、カザフスタンにまたがり、数千年にわたる遊牧民の遺跡を残している。その一つがパジリク文化とよばれ、スキタイ時代のクルガン型墳墓群に内部には木製の墓室があり、大きな積石で覆われている。ノボシビルスクの南にあるアルタイ山中のパジリク渓谷で最初に発見された。パジリク文化の担い手は草原の騎馬遊牧民で、ペルシア、インド、中国の商人との交易により巨富を得たとみられる。墳墓中の遺物にはフェルト製壁掛け、中国の絹織物、絨毯、装飾品を付けた馬、木製家具などの住居用品が出土した。いくつかの墓からは入れ墨されたミイラが出土している。
アルタイ山地の盆地では120か所から600基の墳墓が発見され、そのうち83か所400基以上がモンゴルに属している。
青銅製装飾品。青銅器時代後期および鉄器時代。BC700~300年。出土地不明。
荷車。壁絵。青銅器時代後期。BC1000~400年。
狩猟図。青銅器時代。BC3000年。中部ウブルハンガイ県。
青銅製大鍋(コールドロン)。鉄器時代初期。BC700~300年。出土地不明。
青銅製大鍋(コールドロン)。鉄器時代初期。BC700~400年。北部フブスグル県出土。
鹿石。青銅器時代中期。BC1300~600年。北部フブスグル県出土。
突厥時代(552~740年)に人面を追刻されたとみられている。
鹿石はアジアから東欧で発見されている。BC2000~1000年までの青銅器時代初期から鉄器時代初期からにかけての遺物とされる。現在までに約700の鹿石が発見され、うち550がモンゴル領内のものである。
鹿石は石柱の一面及び複数面に鹿が彫刻されていることから名付けられた。太陽、月、鏡、ベルト、五角形、ナイフ、斧、弓矢などの図形をも伴う。また、イノシシ、ウマ、トラなどが刻まれているものもまれにある。
鹿石の多くは石列に囲まれており、ウマの頭蓋骨、首、蹄の骨も同時に出土する。