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テニアン島の史跡 チュルビーチ 日之出神社跡 スーサイドクリフ タガ遺跡 日本統治時代の建物跡 南洋興発工場事務所跡

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テニアン島。チュルビーチ。日本軍のトーチカ。2013年4月10日(水)テニアン島見学の後半。サイパンへは17時発の最終便となるので、16時30分にはレンタカーを返さねばならず、4時間30分程度と短い見学時間となった。飲食物は予想通り荷物検査はなかったので若干は持参しており、車中で飲食した。原爆ピット方面から西海岸方向へ進み、道標を海岸へ向かうとチュルビーチに到着。
米軍はテニアン島攻略を昭和19年7月24日チュルビーチ上陸から開始した。ビーチ北東の端に日本軍のトーチカが遺されている。このトーチカには九四式三十七センチ砲1門が配置されていたという。トーチカには多くの弾痕が残っており、米軍の上陸正面となったこの場所の戦闘の激しさを物語っている。

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チュルビーチの砂浜の長さは300mほどあり、テニアン島には砂浜が少ないので、このチュルビーチが選定された。

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チュルビーチに残る米軍LVTの残骸。トーチカ前の水際の岩場には、車両か船艇のギアのような部品が残っている。

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チュルビーチ南の8番通り沿いに残る米軍LVT。チュルビーチから南へ向かう主要道が8番通りで、北部空港地区の南西端の交差点広場中央に米軍LVTが置いてある。LVTは上陸時だけではなく、内陸における戦闘にも使用された。米軍がテニアン島占領後に放置していったと思われる。
前半に見逃した日之出神社へ向かうため、地図を検討すると、8番通りから空港地区南西端を東へ回り込む短絡路がある。8番通りを南進すると米軍基地があり、行き過ぎたので引き返すと、このLVT広場から東へ向かう細い道があった。これが失敗で、引き返して主要道を進めばよかったのだが、道路は次第に薄くなり、枝が車の側面をこすり、擦り傷多数になり、修理代50ドルを支払わせる羽目になった。何とかブロードウェイに出ると、アメリカ記念碑の所だった。

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日之出神社跡。一の鳥居。アメリカ記念碑から2分ほど南へ向かうと、西側に一の鳥居が見えた。日本領時代、この一帯には南洋興発のサトウキビ農場があり、多くの日本人が住んでいた。日之出神社は、昭和14年にこの地区の氏子約1700人により建立された。戦後は荒廃し、アメリカ記念碑の場所が誤って日之出神社とされ、この神社はNKK神社と伝えられてきた。
一の鳥居は日之出神社の参道入口に当たり、100mほど参道を進むと、二の鳥居に着く。

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日之出神社跡。二の鳥居。鳥居の先には本殿があったと思われるが、基礎の石段程度しか残っていない。その先はジャングルである。

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スーサイドクリフ。日本統治時代、地味の良いテニアン島では南洋興発によるサトウキビ栽培が盛んで、日本人移住者は約1万4千人いた。米軍は島の北部から南部に侵攻し、島の島南端のこの海沿いの崖に追い詰められて、サイパンと同じく民間人が海へ投身自殺するなど多くの犠牲者が出た。
島の北部見学を終え、時間配分を考慮して、島の島南端へ向かった。舗装道路の終点にスーサイドクリフがあり、多数の慰霊碑が建てられている。中国人観光客等による慰霊碑への落書きや損傷行為が多発し、閉鎖できるようゲートが設置されている。

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スーサイドクリフから上部のカロリナス台地を望む。カロリナス台地は南東側が切立った断崖になっており、海岸線との間に細長い平地がある。また、海岸線も切立った崖になっている。日本軍や民間人は最終的にカロリナス台地へ追い詰められた。
その為、テニアン島への移住者には、 沖縄県出身者が多かった。

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スーサイドクリフから眺める海。展望台からは断崖の下の海が見下ろせる。昭和19年8月、米軍に追い詰められた人々はこの一帯から海に身を投じた。
このあと、かつて繁栄した日本人町サン・ホセへ向かう。

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マリアナ諸島最大のラッテ・ストーンのあるタガ遺跡。現在の閑散としたサン・ホセの南部海岸近くにタガ遺跡や日本統治時代の遺跡のある一帯がある。タガ遺跡は公園化されている。

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タガ遺跡のラッテ・ストーン。柱の高さが約4.1m、敷石の高さ約1.7mとマリアナ諸島最大。タガというチャモロ人の首長の住居と伝えられている。かつては、6基ずつ2列に12本並べられていたが、台風などにより。1基をのぞいて倒れてしまった。

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タガ遺跡のラッテ・ストーン住居はタガ・ハウスとよばれ、復原想像図が案内板に描かれている。

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タガ遺跡の日本語石碑。昭和13年12月、南洋庁サイパン支局テニアン出張所が建てた石碑が遺跡の横に建てられている。その当時はまだ2基が立っており、石柱の周囲から人骨数体が出土したと記してある。

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タガ遺跡横の日本人慰霊碑。松本歩兵第五十連隊戦没者慰霊之碑など多数の慰霊碑」が建てられている。 灯篭なども多く置かれ、かつての神社跡のような雰囲気がある。

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水産組合事務所跡。タガ遺跡と道路を隔てた海側にある。日本統治時代、ここに水産組合の事務所があり、当時事務所の裏側は海であった。事務所跡の壁には、被弾痕や被弾によると思われる破孔が見られる。手前には航空機のプロペラや発動機の残骸が置かれている。
この「碑」は日本統治時代に建てられたと思われるが、詳細は不明である。

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日本統治時代の建物跡。郵便局跡のようだ。海岸から北東にあるスーパーの手前の交差点近くにある。付近には南洋庁の出張所、警防団本部などがあるというが、説明板がないので分かりにくい。

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日本統治時代の建物跡。テニアン町消防団跡。現在は倉庫として使用されているようで、比較的損傷が少ない。 正面の外壁には消防組という文字が遺されている。
日本統治時代はこの一帯がテニアン町の中心地であったが、現在は人家もまばらで面影はない。

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南洋興発工場事務所跡。事務所跡は左側平屋造の建物である。テニアン島は他の島に比べてサトウキビ栽培に適しており、昭和5年この一帯に1日1200tの生産能力を持つ南洋興発テニアン精糖工場が建設された。また、その周辺には関連の施設・設備や、工場従業員の社宅が整備された。
事務所跡右側に2階建ての建物跡が建っている。 この建物跡が糖度分析所か事務所の別棟かは不明である。
南国の楽園とうたわれたテニアンの繁栄をしのばせる建物であった。
このあと、海岸沿いの道路を北上し、テニアン空港の左を通過したが、空港へのアクセス道路は存在せず、結局ブロードウェイに戻って南下するという遠回りになってしまった。
16時15分頃、空港に着きレンタカーを返した。74ドルの料金にプラス50ドルの修理代を払わされた。17時頃に2便あり、中国人の団体6人ほどが先に飛び立っていった。
17時過ぎに、セスナでテニアンをあとにして、10分ほどのフライトでサイパン空港へ到着。困ったことにタクシー乗り場がなかった。偶然いたタクシーに乗り、ガラパンのレストラン「トニーローマ」へと向かったが、何とメーターがなかった。着いたとき、35ドだと言ったが、30ドルと主張して了解させた。サイパンのタクシーはぼったくりだ。名物のベビーバックリブを食べたが、美味いものではなかった。歩いて、ホテルに帰り、途中のスーパーで朝食を購入。明日はサイパンの戦跡ツアーである。

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