Image may be NSFW.
Clik here to view.
オレアイ海岸の海中に残る米軍M4中戦車。2013年4月11日(木)。本日はサイパン島の一日戦跡ツアー。催行はパウパウツアーズ。料金125ドル。昼食込み。当初、レンタカーで回ろうとしたが、ネットで探ると、タポチョ山は悪路で四駆が必要という情報があり、四駆に変更予約。さらに、地獄谷、極楽谷、ドンニー野戦病院跡は場所が分かりにくいうえ、私有地を通るという厄介な問題があると分かり、レンタカーは諦めてパウパウツアーズの戦跡ツアーに参加することにした。9時から17時まで見学した箇所は島の北部、中央部、南部全域で上記4か所のほか、オレアイ、チャランカノア、アスリート飛行場、ラウラウ、ラストコマンド、スーサイドクリフ。Clik here to view.

9時にホテルでピックアップされ、参加者は同年代の男性と二人、ガイドも同年代の女性、ドライバーは現地人で地獄谷でロープ確保などの作業も行う。
まず、ガラパンから南下してオレアイ(サン・ホセ)へ。この海岸は昭和19年6月15日に米軍が上陸を開始した地点。オレアイ海岸沖には揚陸途中で撃破されたM4シャーマン戦車が海没しており、海面から出ている砲塔部分を見ることができる。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
チャランカノアの日本人慰霊碑。マウントカーメル教会の向かいの交差点の一角に慰霊碑が複数建てられている。この慰霊碑は高さ2mほどのコンクリート製で「大東亜戦々歿殉難者招魂碑」である。この地区の収容所に収容されていた日本人民間人により、戦後初めて建設された慰霊碑という。日本統治時代には、近くに南洋興発サイパン製糖工場や南興神社が建てられていた。チャランカノア海岸は、昭和19年6月15日オレアイ海岸とともに米軍が上陸した地点である。チャランとはジャランと同じで道という意味、カノアはカヌーのことで、沖合にサンゴ礁の切れ目があり、外洋へ船出する航路があった。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
チャランカノアの日本人慰霊碑。裏面には昭和21年6月8日、日本人残留者一同建立と記されている。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
戦没日本人之碑。昭和28年に日本政府がサイパン島に戦後初めて建立した慰霊碑で、文字は当時の吉田茂首相の書という。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
マウントカーメル教会と日本人収容所跡の説明板。マウントカーメル教会は、スペイン統治時代に建立されたカトリックの教会であり、当時はサイパン島で最大の教会であった。ススペ湖の西に位置する。当時、この地区に収容所が設置されていた。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
マウントカーメル教会の墓地と旧南興神社鳥居。南興神社は昭和12年11月に南洋興発社長の松江春次によって創建された。教会裏の高校敷地に製糖工場建物の一部が残っているという。 Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
チャランカノアに残る南洋興発の社宅。2軒残っている内の一棟。知らなかった。貴重な文化遺産である。高床式が特徴。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
チャランカノアに残る南洋興発の社宅。2軒残っている内の一棟。近い場所に残っている。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
サイパン国際空港の火焔樹。南洋桜ともいう。今年の開花は早いという。空港の火焔樹群は有名らしい。日本海軍のアスリート飛行場が現国際空港の元になった。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
サイパン国際空港アクセス敷地内に残る旧日本軍施設。アスリート飛行場に建てられた日本海軍の施設の一部は現在も現地政府機関等が使用している。アスリートとはリートさんの土地という意味。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
サイパン国際空港アクセス敷地内に残る日本海軍のガソリン貯蔵庫跡。マウンドの反対側に入口がある。日本軍撤退後、米軍に無傷で捕獲された。Clik here to view.

北東の管制塔方面へ移動。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場の日本海軍弾薬庫跡。戦車・大砲類が並ぶ一角を抜け、まず一番奥にある弾薬庫跡へ。下草刈りなど道路が整備されているのは、3月の米軍関係者の訪問団のためだという。グアムのアサン展望台で出会った一団がそれであったようだ。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る日本海軍の施設と兵器。この地区に飛行場司令部が置かれ、右側に正門があったという。陸軍の戦車も置かれている。西側に防空壕が残り、内部に入ることができる。昨日見学したテニアン島の防空壕と同型である。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る日本海軍の高角機銃。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る日本海軍の航空魚雷。意外に長い。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る九七式中戦車。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る九七式中戦車。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.
旧アスリート飛行場に残る九七式中戦車。足回りにはゴムも使われ、当時のタイヤメーカーの名前「ヨコハマ」「明治タイヤ」も残っている。Clik here to view.

このあと、タポチョ山の東にあるドンニー地区へ向かう。途中ラウラウ湾を望む海岸沿いの崖地に残る日本軍砲台跡へ。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
ラウラウ湾を望む海岸沿いの崖地に残る日本軍砲台跡。ドンニー地区へ向かう途中、道路の状態が良いということで、海側の小道へ入り、車を降りてしばらく歩くと、ラウラウ湾を望む位置にある日本軍砲台跡に到着。Clik here to view.

Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 19]()
日本軍砲台跡の入口。Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 20]()
日本軍砲台跡の内部。保存状態は良い。Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 21]()
砲台跡の海岸寄りからラウラウ湾を隔ててハグマン半島を望む。田中徳佑中尉は大場隊とは離れて、この半島に隠れ住んだ。半島の主要部には、現在韓国資本のゴルフ場がある。手前のビーチはビーチエントリーのできるダイビング・スポットという。Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 22]()
砲台跡の付近にある古代チャモロ人の石具。石臼のようである。もう一か所の基礎部分のみ残った砲台跡に立ち寄り、本道へ戻る。Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.![イメージ 23]()
日本トンネル。砲台跡へ入る地点の本道左にあるトンネル。内部は広く長い。貯蔵庫なのか目的は良く分からないが、日本トンネルとよばれている。Clik here to view.
このあと、ドンニーの野戦病院跡へ向かった。