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サイパン島の戦跡ツアー ドンニーの野戦病院跡 タポチョ山 極楽谷の野戦病院跡

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ドンニーの野戦病院跡への入口。2013年4月11日(木)。本日はサイパン島の一日戦跡ツアー。催行はパウパウツアーズ。サイパン国際空港からラウラウを経て北上、タポチョ山の東にあるドンニーの野戦病院跡へ向かった。当時の状況は菅野静子著「戦火と死の島に生きる」に詳しい。島の西南部に上陸した米軍はアスリート飛行場方面やガラパン方面から北東方面へ進出し、日本軍や民間人には死傷者が増えた。サイパン島の中で湧き水が豊富なドンニーに逃れる人が多く、日本軍の野戦病院もドンニーの山に囲まれた谷に設営された。菅野静子さんは、テニアン島に南洋興発の小作人として移住した両親とともに暮らしたが、学校を卒業してサイパンのガラパンにあった南洋貿易の社員となった。米軍上陸後、ドンニーに逃げたあと、志願して野戦病院で看護業務に当たった。彼女は地元の地理に詳しく、水を汲んで病人に配った。日本軍の後退とともに、野戦病院は西北の海岸沿いのジャングルに設けられた極楽谷地区へ移動。7月7日の最後の玉砕のさい、軍医たちに続き、手榴弾で自決するが、意識不明の状態で米軍に救出され、一命を取り止めた。帰国後は神奈川県で教師となった。
民家に車を停め、ドンニーの野戦病院跡へ向かう。途中には幾つかの遺品遺骨が置かれている。ここには、当時の日本製ビールの空き瓶が集められていた。キリンビールの文字が読み取れる。道の先には東海岸の青い海が見えている。野戦病院跡へは右方向へ踏み跡が続いている。

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ドンニーとは唐辛子の名前で、今でもたくさん自生しており、いくらでも途中で採集できる。ドライバーが熱心に摘み取って、私たちに手渡した。ガイドさんが、辛いですよ、と言った通り、とんでもなく辛かった。

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途中には幾つかの遺品遺骨がある。砲弾がまとめられている。

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途中に取り置かれている遺骨。

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ドンニーの野戦病院跡の入口。石灰岩の崖山に周囲を囲まれた谷地形のため、米軍に発見されにくい。右に病院棟の役割を果たした洞窟がある。このあたりに2千人ほどの負傷者がひしめいていたという。

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病院棟の役割を果たした洞窟へ坂道を上る。

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病院棟の役割を果たした洞窟。石灰岩地帯特有の地形である。

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病院棟の役割を果たした洞窟。空を見上げる。

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病院棟の役割を果たした洞窟。慰霊参拝をする人は今でも多いようだ。極楽谷へ移動できない傷病兵は自決した。私たちも、ガイドさんから手渡された線香を供えた。合唱。

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野戦病院跡入口の民家に集められた遺品。壁に立て掛けられた機銃もあるが、生活用品も多い。
タポチョ山へ向かう。

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タポチョ山の山頂駐車場から山頂へ向かう。標高473mのタポチョ山は島の最高峰で見晴らしが良い。大場大尉たちが山の西側山間部に立てこもった映画の舞台でもある。遊歩道は整備され、わずかに歩くだけで山頂へ着く。山頂手前は荒れたガリー状の未舗装道路と聞いていたが、前輪駆動の車でも楽に登れた。最近行われたイースター行事ではガラパンから徒歩で、この山頂まで十字架を担ぐ行列があるので、この時期は整備されるとのこと。

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タポチョ山の山頂から。東海岸のハグマン半島方向。山頂の下は死の谷とよばれ、米軍の陸軍師団が周囲の日本軍から猛襲を受けて、進撃できない状態が続いたため、米海軍の総司令官が怒って師団長を解任するという事件が起こった

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タポチョ山の山頂から。西のガラパン方向。この下に大場大尉らが立て籠もったタコ山があるが、山頂からは見えないとのこと。米軍から見られるような場所では隠れ家にはならない。

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タポチョ山の山頂から。南方向。右側にチャラン・カノアと海岸。左に国際空港。

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タポチョ山の山頂から。北方向。マッピ山、バンザイクリフ、地獄谷、極楽谷方向。

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タポチョ山の山頂から。北西方向。マニャガハ島。当時は軍艦島とよばれ、砲台陣地が置かれていて、今でも砲台が残っている。サイパン戦では一番最後に占領された。
タポチョ山を下って、ガラパンのフィエスタリゾート近くのモビーディックで昼食。一緒に回った男性は横浜の人で、脳動脈瘤の手術で長く入院中、BC級戦犯の手記や戦記を読んで関心を持ったという。フィエスタリゾート内のオフィスでツアー料金を支払って、ホテルから野戦病院跡のある極楽谷へ向かう。

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極楽谷の入口。ガラパンから西海岸沿いに北上。ニッコーホテルの跡地を通過。西の小道へ入り、上り坂を進んで駐車。右側に入口があるが、まるで目立たたない。案内板などはないので、知らなければ通り過ぎてしまう。道路左の低地は雨季には水が流れるので、貴重な水源となったため、野戦病院の人々には極楽のように思われたので、極楽谷とよばれた。

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極楽谷。野戦病院のあった洞窟。入口からは急斜面の山道を登ると病院が置かれた洞窟がある。米軍の空陸からの攻撃を避けるためには洞窟が適していた。ドライバーが座っている。

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極楽谷。野戦病院のあった洞窟。ここでも線香を手向けた。この地区はマタンシャとよばれ、日本軍最後の司令部地獄谷や玉砕地タナパグに近い。ドンニーから移った野戦病院も最後の地となり、軍医や動けない負傷兵たちはタナパグへ集結する前に自決した。

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極楽谷。野戦病院のあった洞窟。慰霊参拝の跡。

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極楽谷。野戦病院のあった洞窟。当時の医療器具。

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極楽谷。野戦病院のあった洞窟。歯や小さい遺骨。遺骨遺品は捜せば今だに出てくる。
このあと、地獄谷へ向かった。

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