事故現場のUAZ。2014年7月13日(日)。17日まで5日間のモンゴル北東部のチンギス・ハーン生誕伝承地ダダル方面へのツアーが始まる。
8時30分頃、ナサンさんの部屋で打ち合わせをした。運転手兼ガイドはハラホリンで同行したインケの父親ということだったが、部屋に入るとインケに似た青年がいた。インケの兄で、彼が今回の運転手ということだった。
ビンデルからダダルへ行くというルートの打ち合わせをして、ツアー代金の車と運転手代として1日90ドル、計450ドルを払った。ガソリンは今回を実費として、手付金15万TGを払った。
使用車はロシア製の4輪ミニバンUAZである。年式は古いが、泥道に強く、メカがシンプルなので故障修理に強い車である。
9時頃に、ナサン・ゲストハウスを出発。ウランバートルから南東へ向かい、郊外でガソリンスタンドと売店に寄り、10時頃ナライハあたりから幹線道路を東へ左折した小さな町で事故が起きた。右のガソリンスタンドから乗用車が道路に進入してきた。私は右側の助手席に乗っていたので、様子を見ていたが、それほど異常な割り込みではなかった。しかし、運転手は左の車線へ移り、その車の横に並んだ。ハンドルを右に切って幅寄せをしたかと思ったら、さらに右に切ったので、相手の左後部へ衝突した。明らかに異常行動であった。ウランバートル市内では、無理な割り込みは当たり前なので、この程度の割り込みで頭に血がのぼって、ぶつけるとは異常性格でしかありえない。
こいつの運転でこれから5日間ドライブかと思ってしまった。私の車は500mほど先で停車し、運転手は相手の車へ行き、話し合いを始めた。私は車の中や近くにいざるを得なかった。
UAZの側面を確かめると、さすがに頑丈でかすり傷程度だったのには感心した。1時間ほどして、警察の車がきて、二人を乗せて走り去り、30分ぐらいして戻ってきた。結局2時間ほど、事故地点で足止めを食らってしまった。
しかし、先は長い。
食事。肉うどん。ゴルタイ・シュル。16時頃。昼食とも夕食ともつかない時間だ。しかし、舗装道路がなくなり、レストランというものがなくなる最終地点ということだったのだろう。
醤油味ではなく、肉も羊なので想像よりまずい。左はツァイという飲み物で、付き物なのだが、ミルクを腹一杯飲まされ続けることになる。
草原の道。川を渡る。モンゴルでは舗装道路は約1200kmといわれるが、それは大都市間の連絡路であり、国土全部をカバーしていない。ほとんどの道はオフロードで、舗装路を外れると、草原の中のわだちで作られた道を走ることになる。通行量が多ければわだちが重なって地面が現れた地道が続く。道標がないことが多いので、大体の方向を決めて走ることになる。
やっかいなのは川で、橋がないのが普通なので、渡渉地点を捜すことに時間がかかる。
草原の道。川を渡る。川の水量も日々変動があるので、毎日同じ地点で渡れるわけではない。大きく迂回したりすることもあり、時間はどうしてもかかってしまう。
渡渉できるかどうかの見極め、どの方向へ迂回しれ渡渉地点を捜すのか、かなりの経験が必要だ。
草原に川は多く、ひっきりなしに、現れる。
草原の道。17時30分過ぎ、何度目かの川を渡ったところで、川を渡ろうと停車している車と出会う。4輪ではない普通の小型車は苦しい。
モンゴルでは、こういう困ったときは車同士で助け合うのが慣習になっている。
草原の道。運転手が川の様子を見る。
草原の道。泥でスタックし、前輪が空転している。
草原の道。運転手を残して、他の人たちで車を押しているうちに、何とか渡ってしまった。同乗の子供たちは靴を脱いで、歩いて川を渡っていった。
草原の道。その後も、川に遭遇しまくる。
草原の道。一群の馬がわだちに出来た水溜りの水を飲んでいた。放牧の馬だろう。
草原の道を延々と進み、20時頃薄暗くなったときに、草原の中の遊牧民のゲルを見つけ、泊まらせてもらうことになって、本日の行程が終了した。