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メキシコシティ  テンプロ・マヨール

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テンプロ・マヨールとメトロポリタンカテドラル。メキシコシティ。2014年11月12日(水)。
1521年スペイン人たちはアステカ王国の首都テノチティトランを征服すると、街を完全に破壊し、切り出した石材を使ってその上にメキシコシティを築いた。
テンプロ・マヨール(大神殿)はアステカ王国時代の大神殿などの遺跡である。1978年に神殿の跡地が発掘され、野外博物館として公開されている。出口近くに出土品などを展示した博物館があり、内容豊富なので長時間見学し、疲れた。
 
メトロポリタン・カテドラルの見学後、北東のテンプロ・マヨールへ向かう。入口で荷物チェックがあり、昼食用のバナナは持ち込み禁止といわれたので、近くのベンチで食べざるをえなかった。
 
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7層の大神殿の建設過程を示す構造図。
テノチティトランの聖域ではアステカ王国の拡大にともない大神殿も改築・拡張されていった。また、湖上の都市ゆえに度重なる洪水や地震の被害また地盤沈下も起き、構築物が沈下するのを防ぐために地盤レベルを上昇させる必要にも迫られた。
7回にわたり、神殿は内側低層部のピラミッドに泥と石を充填することにより覆い被されていき、新しいピラミッド部が表面を覆い、拡張されていった。また、これに付けくわえて正面部は5回ほど拡大された。
中心の大神殿の頂上には右(南)側にメシーカ独自の守護神ウィツィロポチトリ、左(北)側には地域の伝統的な雨神トラロックを祀る神殿があった。
 
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大神殿の基壇。蛇の姿像。
 
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大神殿の基壇。蛇頭像。大神殿の上部は破壊されて残っていないが、基壇の一部は残っている。
 
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大神殿の基壇。階段部が幾つか残り、古いピラミッドの上に新しい層が増築されていったことが分かる。
 
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大神殿の基壇。
 
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1900年頃の排水路。大神殿基壇部を2m幅に切り取って造成された。
 
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1900年頃の排水路。説明図。当時、旧大神殿跡は全てメトロポリタン・カテドラルや近隣の建物の下にあると思われていたが、1978年以降の発掘により、遺跡を見ることができるようになった。
 
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赤い神殿。水の神トラロックに捧げられた神殿。屋根で覆われて保存されている。
 
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赤い神殿。彩色されたチャック・モールが残る。
 
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テンプロ・マヨール。
 
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鷲の家。聖域でも重要な建物で、建物内部には限られたメシーカ人しか立ち入れなかった。メシーカ人の上層階級が儀式を開催する場所で、瞑想、祈り、懺悔や奉納上演も行われた。建物は1430年頃に建設され以後1500年の間に2度拡張された。現在は3層のうち2層分が見学できるようになっている。第2層は1470年頃にアステカ王国第6代の王アシャヤカトルの代に拡張された部分である。スペイン人による破壊後はサンチャゴ教会の地下に埋もれていた。
 
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鷲の家。説明図。
 
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北の赤い神殿。斜面部と水平部の基壇を組み合わせたタルー・タブレロ様式の建築でテオティワカンの影響を受けている。正面は中央に円形の小祭壇を備えた玄関部で構成されていた。
この区域は白い帯と赤く塗られた石輪で装飾された赤い壁で区切られていた。後方の小神殿は赤・黄・青・黒・白の色で塗装されていた。この建物は化粧漆喰の上に描かれた優れた壁画が良く保存されていることで知られている。
 
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北の赤い神殿。壁の部分の詳細写真。
15分ほどで野外部を見学し、出口近くの博物館へ向かう。

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