坤束製鉄遺跡。平成25年10月21日(月)。道の駅豊平どんぐり村で起床。次の台風27号が近づいており、3日後からは雨が続く予報。行程が海岸部へ抜ける前の内陸部での登山では比婆山、阿佐山が終わり、あとは恐羅漢山、吉和冠山、三倉岳が残っている。アクセス距離的に一日2山は困難。何とか、三倉岳まで天候がもってほしい。本日は恐羅漢山、臥龍山、三段峡がメイン。その前にこの地域のポイント2か所が残っている。
まず、道の駅豊平から数百m南にある坤束製鉄遺跡へ。道標があるので、すぐに場所は分かった。遺跡に近づくと、唐突に音声案内が始まったので、飛び上がった。
北広島町では,鉄滓等の散布状況などから約200か所の製鉄遺跡が確認されており,その多くは豊平町の南半部の太田川水系で、いずれも中世の製鉄遺跡であることが判明している。
坤束製鉄遺跡は山の東側斜面の中腹に位置する。遺跡は,山の斜面を削り出して南北20m,東西8mの作業場を造りだしており,そこから製鉄炉,火をおこすための送風器(ふいご)を置く場所である鞴座(ふいござ),砂鉄置場,炭窯等が検出された。時期は,遺構の構造や地磁気年代測定等により,13~14世紀ごろと推定されている。
北広島町では,鉄滓等の散布状況などから約200か所の製鉄遺跡が確認されており,その多くは豊平町の南半部の太田川水系で、いずれも中世の製鉄遺跡であることが判明している。
坤束製鉄遺跡は山の東側斜面の中腹に位置する。遺跡は,山の斜面を削り出して南北20m,東西8mの作業場を造りだしており,そこから製鉄炉,火をおこすための送風器(ふいご)を置く場所である鞴座(ふいござ),砂鉄置場,炭窯等が検出された。時期は,遺構の構造や地磁気年代測定等により,13~14世紀ごろと推定されている。
坤束製鉄遺跡。製鉄炉、炭窯、ふいごの約半分を復元し、製鉄炉と炭窯の断面がわかるようにしている。復元整備区域には覆屋を設け、また表面硬化剤で保護しているため、間近で見学することができる
平成の名水百選。八王子よみがえりの水。北広島町本地。西日本の平成の名水百選の中でも整備が行き届いている名水の一つ。国道を八千代方面へ向かうと、案内看板があり、東へ入ると、道標が随所にあり、右折左折を繰り返して、神社近くの駐車場に到着。野菜の販売コーナーがあり、野菜を置きにきた女性や水汲みから帰り自転車で帰る爺さんもいた。月曜の早朝なので、ひっそりしていた。
平成の名水百選。八王子よみがえりの水。神社の中にある閑静な取水場の雰囲気は、名水と呼ぶに相応しい。水汲み場の裏山は岩盤の破砕帯らしく、これも名水の要因だろうか。広島電機大学の水質分析が表示されていて、PH6.97、硬度46咫▲薀疋6.77マッヘで、まれにみる清冽な軟水の名水。お茶、コーヒー、料理、飲用に最適の水質と記してあった。
私が水汲みを終えると、ポリタンクを一輪車に乗せた中年夫婦が現れ、挨拶を交わした。
8時30分頃、安芸太田町の恐羅漢山登山口へ向かう。
私が水汲みを終えると、ポリタンクを一輪車に乗せた中年夫婦が現れ、挨拶を交わした。
8時30分頃、安芸太田町の恐羅漢山登山口へ向かう。
恐羅漢山。広島県最高峰。標高1346m。登山口の牛小屋高原駐車場から眺める恐羅漢山。山頂は中央あたり。手前の尾根がスキー場リフトが中腹まで続く立山尾根。レストハウスの右が登山口で、登山道の標識が随所にあり、リフトの下を抜けて、登山道に取り付く。
11時頃出発と推定する。往路は記録データが誤っていて不明。10時頃に着いて、1時間近く準備していた。
11時頃出発と推定する。往路は記録データが誤っていて不明。10時頃に着いて、1時間近く準備していた。
恐羅漢山。スキー場の刈り取り地帯の末端。この上から登山道になり、尾根の左の巻道を登る。意外と路面がウエットなので注意を要する。ほんの少しの急登ののち、稜線に出会い、左折する。
駐車場から30分以上前に夏焼峠方向へ向かった熟年男性と出会い、競争のように山頂へ向かう。
駐車場から30分以上前に夏焼峠方向へ向かった熟年男性と出会い、競争のように山頂へ向かう。
恐羅漢山。11時47分に山頂へ到着。熟年男性より数分先に到着。1年ほど前に山歩きを始めたそうだ。広島県の山を少しずつ登っているという。ザックなどの装備は山専門ではない。弁当を持ってくるのも初心者らしい。広域の概略地図を持っていたので、山座同定を助けてくれた。
恐羅漢山。山頂の岩の上から。北西の臥龍山方面。
恐羅漢山。山頂の岩の上から。南の十方山方面。ベテランの男性が登ってきた。ここにはよく登っているらしく、旧羅漢山は展望がなく、花の時期しか行く人がいないという。
12時7分に下山開始。往路を下り、12時39分に登山口着。
浜田女子大生殺人事件で有名になった臥龍山へ向かう。
12時7分に下山開始。往路を下り、12時39分に登山口着。
浜田女子大生殺人事件で有名になった臥龍山へ向かう。
臥龍山林道終点。雪霊水の水汲み場。林道は北側からのアクセスになり、途中やや暗い箇所もある。終点近くは山岳道路のようになるが、舗装も行き届いていて、離合困難箇所もほとんどなく快適に高度を稼げる。バイクや車数台を見かけたが、不思議も終点では1台も遭遇しなかった。事件情報依頼の立て看板あり。死体遺棄地点は分からず。
せっかくなので、名水をペットボトルに1ℓほど給水。
八合目という終点の先に南へ登る登山道があり、13時45分に登頂開始。かなりの急登。岩場ではないので、運動靴で充分。
せっかくなので、名水をペットボトルに1ℓほど給水。
八合目という終点の先に南へ登る登山道があり、13時45分に登頂開始。かなりの急登。岩場ではないので、運動靴で充分。
臥龍山山頂。標高1223m。一等三角点。13時53分着。展望はない。巨岩があり、よじ登れるらしいが、一周しても簡単な手がかりが分からず、先の行程を考え登るのは止めた。
13時57分下山、14時4分登山口着。
三段峡の案内ガイドを読むと、三段の滝まで時間がかかりそうなのに気付いた。事前にネットで、途中の出合橋ルートが車道崩壊によりバス運行中止のことは知っていたがどうなることか。
13時57分下山、14時4分登山口着。
三段峡の案内ガイドを読むと、三段の滝まで時間がかかりそうなのに気付いた。事前にネットで、途中の出合橋ルートが車道崩壊によりバス運行中止のことは知っていたがどうなることか。
三段峡。特別名勝。入口付近のカヌー。南側からアクセスし、入口手前の有料駐車場に14時45分頃到着。料金を払おうにも詰所に係員はいない。駐車台数も少ない。
14時50分過ぎに、入口を通過。入場料を支払うわけでもないので、ルート案内図は手持ちの雑誌を破った案内図のみ。
14時50分過ぎに、入口を通過。入場料を支払うわけでもないので、ルート案内図は手持ちの雑誌を破った案内図のみ。
三段峡。黒淵。渡し船乗り場付近では、遊歩道が異常に高い地点に付けられているので、坂の上り下りがきつい。ここまでに出会った観光客は全部で10数人と少なく、外人2人もいたが、このあたりで、途切れて、ここから先の圏内を歩いていたのは私だけであった。
三段峡。黒淵。渡し船の施設か飲食宿泊施設か、峡谷にはにつかわない建物があった。ここまで約40分。15時30分近い。案内看板には三段滝、出合橋までの所要時間が書かれているが、子供・老人時間なので、その6・7割で考えればよい。しかし、17時30分頃には日没、18時まで残照があるものの、三段滝へ何時に着くか心配になる。
三段峡。三段滝。奥行120mに渡って三つの滝が名が落ちる最大の見所。16時頃に出会い橋を通過。工事の車が数台停まっていた。葭ヶ原を過ぎ、右の山道を登る。川筋に近づくと、とうとう三段滝が見え、鑑賞所に16時25分頃到着。写真を撮って、1分後には帰路に着いた。
下り坂は極力走り、17時30分には日没、入口近くにはトンネル2か所があり心配したが、何とか通過。入口ゲートに戻ったのは17時50分。入口から三段滝まで90分、帰りは80分であった。3時間弱であったが、13時までに入らないと余裕をもって散策はできないだろう。
帰りついたときは薄暗闇で店もほとんど閉まっていた。駐車場はロープなどなく、単に私の車が置いてあったので、金も払わず出発した。道の駅戸河内へ向かい、近くの筒賀温泉で入浴。450円。
翌日は吉和冠山である。
下り坂は極力走り、17時30分には日没、入口近くにはトンネル2か所があり心配したが、何とか通過。入口ゲートに戻ったのは17時50分。入口から三段滝まで90分、帰りは80分であった。3時間弱であったが、13時までに入らないと余裕をもって散策はできないだろう。
帰りついたときは薄暗闇で店もほとんど閉まっていた。駐車場はロープなどなく、単に私の車が置いてあったので、金も払わず出発した。道の駅戸河内へ向かい、近くの筒賀温泉で入浴。450円。
翌日は吉和冠山である。