Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

メキシコ メリダ ユカタン人類学地方博物館Museo Regional de Antropología Yucatán

$
0
0

イメージ 1
ユカタン人類学地方博物館
Museo Regional de Antropología Yucatán (PalacioCantón)メリダ。2014年11月16日(日)。本日はウシュマル遺跡を見学して、夜行バスでパレンケへ移動するのだが、午前はホテルから北東へ徒歩15分のユカタン人類学博物館を見学することにした。歩き方にはチチェン・イツァー遺跡などマヤ遺跡からの出土品が豊富と記してあった。
博物館はフランシスコ・カントン・ロサードという州知事の公邸を改装したもので、20世紀初頭に建てられたボザール様式の建物である。
48ペソを支払って9時頃に入館。
 
イメージ 2
壺。トナラ、ハリスコ州
1階はトナラ焼・トラケパケ焼陶器の展示室であった。常設ではなく、企画展示であろう。
 
イメージ 3
レアボレンゴ
Reavolengo。トナラ、ハリスコ州。国立陶器博物館蔵。
 
イメージ 4
ケツァル鳥文壺。トナラ、ハリスコ州。国立陶器博物館蔵。
Barro Bandera(Flag Clay)。メキシコの国旗の色を表す。
大量の陶器が展示されていたが、見学目的とは違うので、2階展示室へ向かう。
 
イメージ 5

プウク様式建造物の変遷。チチェン・イツァー遺跡でも見られるプウク様式の説明パネルがあった。
初期オシュキントク期。500~550年。荒々しく切り出した石で造成された外壁の内部は同様の切石による片持ち梁で構成されている。

プウク様式建築は、ユカタン半島北西部で、古典期後期6世紀から後古典期11世紀にかけて盛行したマヤ文明の建築様式の一種。「プウク」とは、ユカタン州からカンペチェ州北部に南東方向に連なる「丘陵」のことである。
プウク様式の特徴は、丹念に仕上げられた切石にあって、装飾の施された建物の基部について、長方形で平坦に几帳面に仕上げられた石を通路部分を除いて隙間なく積み上げる一方で、建物の屋根部分には、複雑に入り組んだモザイク状の装飾が施されるか、しばしば、丹念に何かの形を彫刻した幾何学的な要素を繰り返すかといった形をとる。
多くのプウク様式の建造物に見られるモチーフは、長い「鼻」を垂れ下げた雨神チャク、雷神カウィルと解釈されてきたが、最近では聖なる山ウィッツのモチーフとされる。
最も有名なプウク様式の建造物は、ウシュマル遺跡の「尼僧院」や「総督の館」、そして一面のチャックの顔で知られるカバー遺跡のコズ・ホープ神殿などである。
ウシュマルの建造物は、フランク・ロイド・ライトの建築にも影響を与え、博物館明治村に復原された旧帝国ホテルのデザインに応用されているという説がある。
 
イメージ 6
原プウク期。500~750年。石造建造物の構造は原石や積みタイル、片持ち梁で装飾されている。化粧漆喰で飾られたファサードには幾何学模様の羽目板や櫛状屋根が伴う。刳りかた(モールディングス)、柱台座(プリンス)、コーニス(蛇腹)などが採用されだした。
 
イメージ 7
初期プウク期。750~820年。石を覆う技術が採用された。円柱・方柱で装飾された二層・三層の入口が特徴。
 
細刳り方スタイル。820~1000年。より洗練された石造技術。念入りな仕上げ。円柱で装飾された縞模様のファサード。
 
イメージ 8
モザイクスタイル。820~1000年。モザイクの幾何学模様を強調したファサード。階状の帯状装飾、二重
G形帯状装飾、格子模様、統治権の象徴である「ござ」状文様、鋸歯状文様などのモチーフが採用された。
 
後ウシュマル期。900~1000年。チチェン・イツァーの図像要素が導入された。段状の複雑な装飾。双頭のヘビ、擬人化された彫像、フクロウ、トラロックの仮面像が格子の上に装飾された。
    
イメージ 9
巨大な雨の神チャックの仮面石彫は34個の彫刻された石灰岩で出来ている。
カバー遺跡のコズ・ホープは446個の雨の神チャックの仮面を4つのファサードにわたって装飾している。
 
イメージ 10
建築技術。梁天井。マヤ・アーチとして知られる持ち送り式アーチ。天井の安定性は荷重を支える石壁の底部と壁の核にあるモルタルに依存している。
天井には蓋石が置かれる。
柱頭は彫刻された石で造られている。
 
イメージ 11
聖なる幾何学的配置
マヤ人たちは宇宙観を建築や都市の配置に表象させていた。宗教的建築が天上界の構成を反映すると同じく、神殿、ピラミッド、宮殿、祭祀広場、大通りは東西南北の基本方位に関連づけられている。
また、建築は宇宙観を表すだけでなく、それを利用して王権の権力や富を権威づける意義も有していた。
 
イメージ 12
支配者石像。支配者は顏に入れ墨をし、円形の頭飾り、胸板、腰に幾何学模様の飾り帯を着けている。マヤの神聖文字を彫られた石帯に巻かれ、支配者層を象徴する鳥の羽根が頭上に付けられている。
 
イメージ 13
格子文様はプウク様式に特徴的なものである。これらのゴザ文様は政治的権威の象徴であった。
 
イメージ 14
鹿猟。長円形の石造記念碑。600~900年。ユカタン州アシエンダ・デ・タビ出土。
2階を一周しても、チチェン・イツァー遺跡の展示品が見当たらないので、1階の受付で尋ねると、それは別の博物館に展示しているという。
北に十数kmの場所にあるといい、住所を紙に書いてくれた。ウシュマル遺跡へも行かねばならないが、時間のこともあるので迷ったが、二度と来るつもりのない場所なので、思い切ってタクシーを使って行こうと決めた。セントロ方面へ歩くが、タクシー乗り場が見つからなくて焦った。
だが、結局は新設されたマヤ文明大博物館を見学することができた。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles