博物館はフランシスコ・カントン・ロサードという州知事の公邸を改装したもので、20世紀初頭に建てられたボザール様式の建物である。
48ペソを支払って9時頃に入館。
大量の陶器が展示されていたが、見学目的とは違うので、2階展示室へ向かう。
プウク様式建造物の変遷。チチェン・イツァー遺跡でも見られるプウク様式の説明パネルがあった。
初期オシュキントク期。500~550年。荒々しく切り出した石で造成された外壁の内部は同様の切石による片持ち梁で構成されている。
プウク様式建築は、ユカタン半島北西部で、古典期後期6世紀から後古典期11世紀にかけて盛行したマヤ文明の建築様式の一種。「プウク」とは、ユカタン州からカンペチェ州北部に南東方向に連なる「丘陵」のことである。
プウク様式の特徴は、丹念に仕上げられた切石にあって、装飾の施された建物の基部について、長方形で平坦に几帳面に仕上げられた石を通路部分を除いて隙間なく積み上げる一方で、建物の屋根部分には、複雑に入り組んだモザイク状の装飾が施されるか、しばしば、丹念に何かの形を彫刻した幾何学的な要素を繰り返すかといった形をとる。
多くのプウク様式の建造物に見られるモチーフは、長い「鼻」を垂れ下げた雨神チャク、雷神カウィルと解釈されてきたが、最近では聖なる山ウィッツのモチーフとされる。
最も有名なプウク様式の建造物は、ウシュマル遺跡の「尼僧院」や「総督の館」、そして一面のチャックの顔で知られるカバー遺跡のコズ・ホープ神殿などである。
ウシュマルの建造物は、フランク・ロイド・ライトの建築にも影響を与え、博物館明治村に復原された旧帝国ホテルのデザインに応用されているという説がある。
細刳り方スタイル。820~1000年。より洗練された石造技術。念入りな仕上げ。円柱で装飾された縞模様のファサード。
後ウシュマル期。900~1000年。チチェン・イツァーの図像要素が導入された。段状の複雑な装飾。双頭のヘビ、擬人化された彫像、フクロウ、トラロックの仮面像が格子の上に装飾された。
カバー遺跡のコズ・ホープは446個の雨の神チャックの仮面を4つのファサードにわたって装飾している。
天井には蓋石が置かれる。
柱頭は彫刻された石で造られている。
聖なる幾何学的配置。
マヤ人たちは宇宙観を建築や都市の配置に表象させていた。宗教的建築が天上界の構成を反映すると同じく、神殿、ピラミッド、宮殿、祭祀広場、大通りは東西南北の基本方位に関連づけられている。
また、建築は宇宙観を表すだけでなく、それを利用して王権の権力や富を権威づける意義も有していた。
2階を一周しても、チチェン・イツァー遺跡の展示品が見当たらないので、1階の受付で尋ねると、それは別の博物館に展示しているという。
北に十数kmの場所にあるといい、住所を紙に書いてくれた。ウシュマル遺跡へも行かねばならないが、時間のこともあるので迷ったが、二度と来るつもりのない場所なので、思い切ってタクシーを使って行こうと決めた。セントロ方面へ歩くが、タクシー乗り場が見つからなくて焦った。
だが、結局は新設されたマヤ文明大博物館を見学することができた。