口永良部島の西之湯温泉。対岸道路下の海岸直上の小さな建物。西南九州旅行43日間の18日目。平成23年5月26日(木)。口永良部島到着日の温泉巡礼。島には4ヶ所の温泉がある。真っ先に寝待温泉へ入湯し、次の西之湯温泉を目指し、島の一周道路を本村港方向へ進む。蛇が鎌首をもたげたり、屋久シカ親子を眺めたり、竹の伐採作業で道路が覆われている地点を過ぎると、四辻に来て方向を失った。赤土の畑で農作業中の女性を見かけたので、道を尋ねた。右折、右折で進むと海岸沿いの道になり、西之湯温泉の看板が見えた。路肩に先客が一台駐車していたが、60歳前後の夫婦らしき二人がすぐに出て行った。道路が狭く、Uターンするため、東の高台まで行くと、道路下の海岸線近くに西之湯温泉が小さい湾の中に見えた。
西之湯温泉。道路からは温泉へ下る階段が見え、道の脇には白百合が咲いている。上の温泉小屋は台風のためか内部は土台だけで使用不能。その一段下に隠れて、浴槽小屋がある。
西之湯温泉。浴槽小屋の下は潮騒。料金箱に200円を入れ、脱衣箱に服を入れて入浴。
西之湯温泉。2槽あり、手前が男湯で、奥が女湯のようだ。満潮になると、湯船の底から塩分と鉄分を含む茶色の温泉が湧き出てくるというが、常時温泉には入れるようだ。寝待温泉よりも、海辺の温泉らしい雰囲気がある。
本村温泉。1862年に西郷隆盛が入浴したゆかりの地に、平成20年7月に新設された。本村港の東にある。営業は午後5時からなので、1時間余り近くの空き地で待機した。17時5分前に入場し、最初の入浴客となった。露天風呂もあるが使用されていない。晴れていれば、海の景色は最高だろうが、雨混じりの天候。泉質は単純温泉だが、鉄分を含んでいるので薄い茶色をしている。
入浴後、島の一周道路を再度半周して、宿泊する湯向集落の民宿「あぐり」へ向かう。
入浴後、島の一周道路を再度半周して、宿泊する湯向集落の民宿「あぐり」へ向かう。
湯向温泉。昼過ぎに古岳登山後に立ち寄って、宿泊の確認をしたのだが、電話で連絡をしなかったと叱られた。欠航があったりして、宿泊が不確実になることが多いという理由なのだろう。事前に連絡してほしいと言われればしたのだが。昨年の徳之島では、どこの港に着くか事前に教えてくれとは言われた。何も連絡がなければ、宿泊するということだと思い。納得できないものを感じた。夕食も事前の連絡をしなかったせいか、たいしたものではなかった。
翌朝、小中学校の歴史資料館を見学すると話したら、事前に学校へ許可を貰うように言われた。電話番号が分からずに電話できなかったが、教員はどうぞと対応してくれた。矢部高校の構内史跡見学の例からも、無闇に拒否はしないものなので、許可の電話とは大げさなことを言っていると感じた。ある意味の腹いせのようで、いやな気がした。
湯向温泉は集落の山側入口にある。海側には、小さい港があり、チャーター船が停泊していた。温泉小屋の左には湯向権現神社の鳥居が立っている。扉は男女別に別れている。ダイビング後の入浴者は料金を支払うように注意書きがあるが、宿泊者は無料。脱衣所は広い。その先に浴槽がある。
翌朝、小中学校の歴史資料館を見学すると話したら、事前に学校へ許可を貰うように言われた。電話番号が分からずに電話できなかったが、教員はどうぞと対応してくれた。矢部高校の構内史跡見学の例からも、無闇に拒否はしないものなので、許可の電話とは大げさなことを言っていると感じた。ある意味の腹いせのようで、いやな気がした。
湯向温泉は集落の山側入口にある。海側には、小さい港があり、チャーター船が停泊していた。温泉小屋の左には湯向権現神社の鳥居が立っている。扉は男女別に別れている。ダイビング後の入浴者は料金を支払うように注意書きがあるが、宿泊者は無料。脱衣所は広い。その先に浴槽がある。
湯向温泉。泉質は含硫黄ナトリウムカルシウム塩化物泉。青く見える。広い。湯温は低めなので、ゆったりと入浴できる。島の温泉の中では一番良さそうであった。
湯向温泉。5月27日(金)。翌早朝にも入浴。桜の花と見紛うばかりに、湯の花が吹き寄せられていた。
寝待温泉。立神下の海中温泉に入れないかと、もう一度立ち寄った。今度は湯治小屋横の道路に入り、駐車した。本日は入浴できないという看板が立っていた。歩いて、立神下の岩場に向かい、探してみたが、温泉の湧出は確認できなかった。干潮を狙えば見つけられたのかも知れない。
寝待温泉の湯治小屋。さすがに老朽化している。
番屋ヶ峰下の分岐路。本村港の上から島の北西部へ向かう。分岐路に来ると、黒毛和牛が木に繋がれていた。牛はおとなしい。右の車道を上がり、終点の番屋ヶ峰頂上まで登ってみた。電波小屋のほかは何もない。周りの景色も見えなかった。
岩屋泊への道。牛が繋がれた分岐路から左方向の岩屋泊海岸へ向かう。リュウキュウチクが道路の中まで繁茂して、硬い竹の枝が車を叩き付ける。
竹に塞がれた狭い道が延々と続く。対向車が来たら困るなと思いながら走り続け、下り坂になると、海岸が見えてくる。そこに、昨日一緒に下船した自転車旅行の青年がいた。自転車で昨日島を一周したという。30歳代半ばで埼玉に住み、住宅販売会社勤務で、5月の連休を働いて、長期休暇を取ったという。
岩屋泊は口永良部島八景の一つで、穏やかな入り江の先に、薩摩硫黄島や開聞岳が見えるというが、水蒸気が多く視界は悪い。岩屋とよばれる洞窟がある。
岩屋泊は口永良部島八景の一つで、穏やかな入り江の先に、薩摩硫黄島や開聞岳が見えるというが、水蒸気が多く視界は悪い。岩屋とよばれる洞窟がある。
本村港を上から見下ろす。中央には島の小中学校である金岳小中学校。その先は本村港。
口永良部島歴史資料館。金岳中学校の廊下にある。11時30分頃中学校に着き、職員室へ入って、見学したい旨告げると、男女の先生がどうぞ、と言ってくれた。古い本の展示もありますよと言われたので、展示ケースを開けようとしたが開かなかった。歴史資料や伐採具などの民具が中心。
口永良部島歴史資料館。目玉は国指定天然記念物のエラブオオコウモリの剥製。体長25cm、翼長80cmほど。口永良部島とトカラ列島のみに生息し、口永良部島には100頭前後の生息が推定されている絶滅危惧種。6~7月の夜に、果実を食べる姿を観察できるという。
口永良部島歴史資料館展示の一湊式土器。縄文時代後期のもの。屋久島の一湊で初めて発見されたところからの命名。種子島・屋久島・口永良部島で使用された独特の土器。胎土に雲母が認められるので屋久島で生産されたと考えられている。
口永良部島歴史資料館展示の石斧。縄文時代の磨製石器。木の伐採用として使用された。提供者の羽生時夫さんが、道路の道端で発見したものというキャプションが面白い。
金岳小中学校の校門・校庭と体育館。背景の山並みは活火山の新岳。資料館の展示ではこの角度から噴火する新岳の噴煙が学校に迫っている昭和30年代頃の写真があった。
新岳の噴煙。新岳は気象庁が24時間体制で連続観測を行っている全国47火山の一つ。
口永良部島を15時頃出港。台風2号が近づいていることもあり、本来より若干早く出港した。波は穏やかだが、蒸気が多く、昨日よりはるかに視界はない。
デッキで、屋久島に住んでいる60歳余りの男性と話しをした。私が13年前尾之間の国民宿舎に泊まったというと、程なく壊されて現在はJRホテルに建て替えられたという。風潮害が激しく建物は老朽化しやすいらしい。モッチョム岳に登るというと、小学生の時に学校行事で登らされたとのこと。民宿で同宿した高年女性も同じことを言っていた。
口永良部島を15時頃出港。台風2号が近づいていることもあり、本来より若干早く出港した。波は穏やかだが、蒸気が多く、昨日よりはるかに視界はない。
デッキで、屋久島に住んでいる60歳余りの男性と話しをした。私が13年前尾之間の国民宿舎に泊まったというと、程なく壊されて現在はJRホテルに建て替えられたという。風潮害が激しく建物は老朽化しやすいらしい。モッチョム岳に登るというと、小学生の時に学校行事で登らされたとのこと。民宿で同宿した高年女性も同じことを言っていた。